・・・・・・っということで、かなり誤解を生じることを書く。
本当は裏ブログで書くべきテーマだろうけれど、まあ、酔っ払っているので勢いで書く。
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男というものは歳をとっても、まあ、少年の心を持っていると評価されてチョンである。
これは褒め言葉か、馬鹿にされているのか分からないが、まあ、後者だろう。
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女というものは、一生のうち男に比べて劇的に変化する。
もうコレについては何度もこのブログで書いたから省略。
少女の心を持ったオバサンという表現は、まあ、ないだろう。
どうしてか?
・・・っというのが、今日のお題。
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男女に係わらず、幼いうちは中性である。
小学生低学年の女の子は、暴力を振るう能力において男の子と変わりない。
ところが、まあ、ある現象をもって少女は女性に変化する。
じゃあ男はどうかというと、まあ、ある現象をもって少年はケベな青年に変化する。
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だが、男はそれからいくら歳をとっても変わらない。
せいぜいスケベな青年が、スケベなオッサンに代わるだけだ。
ところが、女性はどうか?
子供を生むことによって、母親に変わるのである。
男性も父親になるではないか?と反論されるかも知れないが、ジョーダンじゃない、父親と母親ではまったく責任の重さにおいて比較にならないのだ。
女性は母親になることによって、劇的に変化する。
否、変化せざるを得ないのだ。
すなわち、強い母親にならざるを得ないのだ。
母親になることの責任の重さ(重圧)を男どもはほとんど理解していない。
母親は、それこそ命を懸けて子供を育てるのだ。
本能といってしまえば身も蓋もないが、男にはそこんところが良く分かっていないことだけは確かである。
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もちろん、母親としての重圧に耐えられない女性も出てくる。
育児を放棄したり、最悪、わが子を殺(あや)めたりする事件が世間を騒がす。
だが、男はそれを非難することは出来ない。
なぜなら、その母親が感じる重圧を実感できないからだ。
決してそういう母親を擁護するわけではないが、その責任の重さに耐えられない人間が出てくるのは理解できる。
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さて、ここで問題発言である。
じゃあ、子供を持てない、あるいは持たない女性はどうだという問いは当然出てくるだろう。
ぼくは、それはいつまでも少女の心を持った女と表現したい。
もちろん、いつまでも少年の心を持った男という表現への対比である。
結婚せずに、あるいは結婚できずに歳を重ねた女性のなかには、自分の人生を悲観している人がいるかも知れない。
でも、そんなに悲観することはない。
そういう女性は必ず、少女のような心を持っているものである。
男というものは、そういう少女の部分に魅力を感じるものだからである。
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以上、分からないかも知れないし、分かるかも知れない。
中には、子供を持っても少女のような部分を失わない女性だって居るじゃんという反論も予想できる。
そういう反論をされると困る。
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まあ、ぼくの書くことはその程度である。