・・・・・・っということで、究極の無農薬有機栽培に「合鴨農法」というものがあるらしい。
田植えと同時に合鴨の雛を田圃に放すと、草や虫を食べてくれる。
彼らのフンはそのまま肥料として役立つ。
そして、成長する頃には稲の収穫となり、彼らもお役御免となって人間様への鴨料理となる。
農家の子供たちは鴨を可哀そうだと思いながらも、彼らの肉に舌鼓を打つ。
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どこの学校かは知らないけれど、クラスで豚を飼った話しだ。
子豚の頃から飼い始め、3年後に処分して皆で食べるという授業をしたそうだ。
何を教えようとしたかはご想像のとおり、人間は生命を食って生きている事実である。
一生懸命世話をして、情が移った豚を食べるのだから、子供たちが受けたショックは計り知れないものだっただろう。
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ここまでカエルの解剖の話、小熊を食った話、犬を食った話、合鴨を食った話、豚を食った話を続けた。
ぼく自身は、カエルの解剖しか経験しなかったけれど、子供のときのこういう教育はとても重要だと考える。
いつまでも動き続けるカエルの心臓を見て「生命とは何か」を身を持って理解するのである。
確かにショックは大きい。
でも、そういう教育を受けてきた子供たちは、残酷な大人になる確率は少ないと思う。
逆に仮想空間でゲームをして育った子供は怖い。
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いまTPP協議で日米は厳しい交渉を続けている。
牛肉と豚肉の関税問題で、お互い譲歩を拒んでいる。
なぜコレだけこじれるのか。
ぼくは分かるような気がする。
ぼくら日本人は豚や牛を生命として見ていて、アメリカ人は肉と見ているからなのである。
日本の牧畜は小規模だ。
家族単位で家畜を飼っていて、頭数も極めて少ない。
家畜の世話もアメリカに比べずっと丁寧だ。
たぶん、飼っている豚や牛にも、無意識ながら名前を付けているはずだ。
それが日本人というものだ。
長年使ってきた車をスクラップになることを知りながら、最後は綺麗に洗車するのが日本人だ。
売られてゆく家畜に情が移っていないはずがない。
アメリカ人はそこんところを絶対に理解できない。
これだけ異なる文化を持った者同士が、同じテーブルで交渉するのだから上手く行くワケがないのである。