戦国武将の世界観 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、信長、秀吉、家康は世界の中の日本を考えていたか?とい

うお題。

前回のブログで戦国の武将たちは、自分自身と一族郎党の安全だけを念頭に戦いに明け暮

れていたと結論付けた。

城を見ればそれがよく理解できると。

だが、それは地方の武将クラスである。

信長クラスになると、それだけではないはずだと信じたくなる。

「天下統一」を彼らは目指した。

なぜだろう?

それが今回の疑問である。

・・・・・・

信長以前の武将たちも天下統一を目指した。

武田信玄、今川義元、上杉謙信・・・

何で彼らは京に上がろうとしたのだろう?

それは、武士が身の保全が動機とはいえ、隣接する領土を次々に手中に収め拡大していっ

た先に行き着く最後のものであるからだろう。

戦っているうちに、自分の力量がただ者ではないと自信が付くだろう。

ならば、自身が全国を統一してトップに立つ器であると思い込むことも無理はないであろ

う。

全国を統一するということは、究極の身の安全に繋がる。

信長、秀吉、家康は日本が誇る逸材たちである。

彼らが同一時代に生きたこと自体奇跡に近い。

彼らは、堂々たる世界の一級人物である。

・・・・・・

ぼくは、彼らが世界を視野に置いていたことは間違いないと確信している。

たぶん、当時のあらゆる戦国武将の中で、そのことを考えていたのはこの3人以外ないは

ずだ。

前のブログから書き続けていることは、領民、即ち日本国民の安全と平和を保とうなんて

いう動機は彼らにはなかったはずだ。

とことん、自分自身と一族郎党の安全だけだったはずだ。

だが、日本国というスケールで考えた場合、まだまだ安全であるとは言えない。

そう考えさせる原因があるのだ。

それは、鎌倉幕府時代に元に攻められた記憶だ。

そして、唯一中国から入る情報は、つねに外敵との戦いの歴史だ。

日本の安全保障という単位で考えざるを得ないではないか。

ぼくは、あの3人にはその意識があったと確信する。

それこそ、そん所そこらの大名と大きく異なる点だ。

だから、彼らは天下統一を目指したのだろう。

彼らにとって、一族郎党を守ることと日本を防衛することとは全く同一だったのだ。

・・・・・・

だからこそ、秀吉は朝鮮出兵をしたのだ。

だからこそ、家康は鎖国制度を敷いたのだ。

・・・・・・