読み・書き・そろばん | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
金と暇はあるけど体力と気力がない。
そんなお年頃。
62カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、教育問題、今回は大学入試制度改革についてNHKでやっていた。

教育問題を語らせると、人によって様々だなぁ~と改めて感じさせられた。

みんな正論を言っているように見えて、各自の発言毎に、そぉ~だよなぁと思うが、また次

の人が発言すると、そうそうその意見は正しいなんて、目移りしっぱなしになってしまう。

それほど教育問題は難しいものなんでしょう。

いま問題になっているのは、日本の教育はどうも間違っているらしいという雰囲気。

この雰囲気を何となく皆が共有していて、ナントカしなきゃならんということになっていると思う。

じゃあ、どこが悪いのか?と聞かれると、議論が百出して収拾つかなくなってしまう。

こういう問題はなるべくシンプルに考えるに限る。

問題なのは、日本の大学を卒業しても世界に通用しないからでしょう?

卒業生を採用する企業側はグローバル世界で戦わなきゃならないから、文部科学省に何とか教育を見直してグローバルな人間を養成してくれと要求しているからでしょう?

すると、グローバルな人間の定義とは?となって、議論が限りなく拡散してしまう。

・・・・・・

ぼくは教育問題を考えるとき、いつも明治維新の日本を思い出す。

長い鎖国を続けていた日本が、あんなに短期間に時代に追いつけたのは、グローバルな人間

が日本社会にいたからでしょう?

これは、そういう人材を育てる教育制度が日本にあったという証拠じゃないでしょうか。

それはどんな教育だったか?

「読み・書き・そろばん」でしょ?

笑われるかも知れないけれど、これが教育の基礎の基礎でしょう?

グローバルな人材を育てられない今の日本の教育は、江戸時代の教育に負けている証拠でしょう?

すると、今の日本はこの「読み書きそろばん」の基礎が出来ていないことにならざるを得ない。

冗談じゃない、現代社会はそんな単純なものじゃない。

当時よりずっと複雑な社会だから、高度な教育制度が必要だと反論されるでしょう。

だけれども、ぼくはその反論は間違っていると信じている。

今の子供たちは、ろくに読めないし、ろくに書けないし、ろくにそろばんが出来ない、と断言するのです。

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動物の社会では、親は子供に一人で生きていける能力を教えれば突き放してしまう。

上手く生きていけない子供は死んでしまうだろう。

でも、それでいいんです。

だから必死で大事なことだけを教え、子供も必死で覚えるのです。

基礎的な生きる技術を教えれば、あとは子供の問題なのです。

人間は(特に日本人は)何でいつまでも子供に係わりあうのでしょうか。

今じゃ大学どころか、子供のお見合い相手まで親が面倒を見ているそうです。

親の責任は、「読み書きそろばん」まででいいんです。

そう、義務教育とはよく言ったもので、中学を卒業させるまでが親の義務なのです。

それをしっかり、ホントーにしっかり教育すれば、あとは子供が自主的に考えるべきなのです。

高校以上の進学は子供の意志にかかっているのです。

今日のNHKで問題としているすべての元凶は、国民全員が大学に進学することでしょう?

だから、やる気のない学生のことまで心配してやらなきゃならなくなる。

そして、大学入試制度をいじり回している。

海外の大学は、入学した学生の半分しか卒業できないなんて、もう常識でしょう。

卒業できないのは、学生の問題なのです。

昔の大学はそれでも良かった。企業が終身雇用制度だったから。

ボンクラ学生でも、企業が教育し直す余裕があった。

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この話をすると長くなるので、「読み書きそろばん」の話に戻します。

問題なのは、「何を読み」「何を書き」「どうそろばんで弾くか」ということです。

普通に生活していくぶんには、買い物リストを書き、スーパーで値段と賞味期限を読み、レジで渡されたレシートが間違っていないか計算できれば生きていくことが出来ます。

しかし、それ以上の生活を望む学生だって居てもイイ。(居なくてもイイんです。)

外国の情報を収集して分析し、論文を書いて、統計の手法を用いて持論を数値化するという生活を望む学生も居るでしょう。

その要求するレベルによって、高校や大学を選べばいいのです。

全ては学生の興味の対象によって異なり、その様々な興味を受け止める学校さえあればいいことなのです。

全ては学生しだいなのです。

その学校が日本になければ海外に留学すればいいだけのことです。

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ぼくが言いたいのは、「読み書きそろばん」の基礎をしっかり身に着けたあと、何に対して興味を持つかが重要だということです。

子供というものは、興味さえ持てば努力は厭わないものなのです。

その興味を実現させるのが「読み書きそろばん」の能力なのです。

親にとって重要なのは、子供が興味を持つ分野を沢山提示してやることであり、何に興味を持ったかきちんと観察し、その分野で才能を伸ばせるか見抜くことです。

基礎教育が終了するまで、それをしっかり見届けてやれば、あとは子ども自身が解決する問題なのです。

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文部科学省ももう少しシンプルに考えて、「読み書きそろばん」の重要性を再認識して欲しいものです。

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以上、自分の失敗体験に基づいて語っているのは、もちろんのことです。(;^ω^A