Doubting Thomas(疑い深いトマス) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、ぼくは理科系の人間であるから、神が存在するなら、それを証明してほしいと願う者である。

これに対して、「神の存在を疑うこと即ち、それが神への冒涜である。」と言われてしまう。

それって、詭弁だよね。

議論そのものを否定している。

神の存在を信じる者なら、なんでそれが出来ないの?

ぼくら理科系の人間は、「証明してよっ!」

・・・って言っているだけで、それほど難しい要求じゃないはずでしょ?

確かに目に見えるものが存在し、見えないものは存在しないという主張は間違っている。

例えば愛は目に見えないけれど、間違いなく愛は存在する。

もし、愛が手に触れることが出来、目に見えるものなら、誰だってその存在を疑わない。

だから、目に見えて触れられないからって存在を否定する人は誰もいない。

・・・・・・

神って、愛と同じでしょ?

って説明されちゃうかも知れない。

愛は存在するけれど、見えないし手にも触れられない。

だけれども、ぼくら理科系の人間は愛そのものを否定する。

そんなチャッチイもので(全能の)神を説明するなんて、チャンチャラおかしいと。

えっ?分かんないって?

神というものは意志を持つものでしょう?

意志を持つから神なのでしょう?

神と愛が同じであるはずがない。

えっ?まだ分からない?

神と自然を同一視する考えがあるけれど、それは全く違う。

それは、自然は意思を持たないから。

神は意思を持って「こうあれ」とするのであって、自然はまさしく意志なしに自然に任せて調和を求めるのだから。

神=自然という考えは意志のありなしという点で間違っているのです。

・・・・・・

神は人間を愛している。

・・・っという意思を持っている。

神は人間の想像できない深いことを考えている。

・・・っという意思を持っている。

神は全能である・・・

そういう結論に至る人たちは、考えることを面倒くさがっているだけじゃないのですか?

考えたって分からないから、こっから先は神の領域だ。

そういって逃げているに過ぎないのじゃないですか?

・・・・・・

ぼくら理科系の人間はそんな諦めのいい人間じゃない。

ぼくらが崇める人間はトマスだ。

彼はキリストの復活を信じられず、復活したキリスト本人の傷跡に指を突っ込んで確かめた人間だ。

数ある使徒の中で、ホントーに崇めるべきはトマスだ。

彼のような人間のお陰で、人類は進化できたのだ。

決して、説明から逃げた人間じゃない。