・・・・・・っということで、ぼくは理科系の人間であるから、神が存在するなら、それを証明してほしいと願う者である。
これに対して、「神の存在を疑うこと即ち、それが神への冒涜である。」と言われてしまう。
それって、詭弁だよね。
議論そのものを否定している。
神の存在を信じる者なら、なんでそれが出来ないの?
ぼくら理科系の人間は、「証明してよっ!」
・・・って言っているだけで、それほど難しい要求じゃないはずでしょ?
確かに目に見えるものが存在し、見えないものは存在しないという主張は間違っている。
例えば愛は目に見えないけれど、間違いなく愛は存在する。
もし、愛が手に触れることが出来、目に見えるものなら、誰だってその存在を疑わない。
だから、目に見えて触れられないからって存在を否定する人は誰もいない。
・・・・・・
神って、愛と同じでしょ?
って説明されちゃうかも知れない。
愛は存在するけれど、見えないし手にも触れられない。
だけれども、ぼくら理科系の人間は愛そのものを否定する。
そんなチャッチイもので(全能の)神を説明するなんて、チャンチャラおかしいと。
えっ?分かんないって?
神というものは意志を持つものでしょう?
意志を持つから神なのでしょう?
神と愛が同じであるはずがない。
えっ?まだ分からない?
神と自然を同一視する考えがあるけれど、それは全く違う。
それは、自然は意思を持たないから。
神は意思を持って「こうあれ」とするのであって、自然はまさしく意志なしに自然に任せて調和を求めるのだから。
神=自然という考えは意志のありなしという点で間違っているのです。
・・・・・・
神は人間を愛している。
・・・っという意思を持っている。
神は人間の想像できない深いことを考えている。
・・・っという意思を持っている。
神は全能である・・・
そういう結論に至る人たちは、考えることを面倒くさがっているだけじゃないのですか?
考えたって分からないから、こっから先は神の領域だ。
そういって逃げているに過ぎないのじゃないですか?
・・・・・・
ぼくら理科系の人間はそんな諦めのいい人間じゃない。
ぼくらが崇める人間はトマスだ。
彼はキリストの復活を信じられず、復活したキリスト本人の傷跡に指を突っ込んで確かめた人間だ。
数ある使徒の中で、ホントーに崇めるべきはトマスだ。
彼のような人間のお陰で、人類は進化できたのだ。
決して、説明から逃げた人間じゃない。