・・・・・・っということで、人間は変わる。
生物学的に見ても、細胞は常に入れ替わっている。
今日のぼくは昨日のぼくとは違うのである。
なのに、自分は自分であり、自分は変わらないと思っているのは、自分の脳である。
じゃあ、その脳は変わらないかというと、身体以上に変化しているのではないか。
学習によって知識が増える。
知識が増えれば、行動も変わる。
ほら、変わったじゃないか。
なのに、自分は自分であり、自分は変わりないと頑なに信じ込んでいる。
ならば、その自分って何をもって自分とするのか?
性格?
性格って変わらないですか?
ものの考え方?
そんなもの知識によって変化するでしょ。
価値観?
価値観って年齢や経験によって変わらないんですか?
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肉体(ハード)も、脳(ソフト)も変化する。
こう考えていくと、そもそも自分ってどこにもない。
あるのは、瞬間の瞬間の自分だけじゃないですか。
しかも、人間というものは厄介な生き物で、その場その場で自分を演じ分ける。
そんなことをしているので、ホントーの自分がどこにあるのか、自分でさえも分からなくなってしまう。
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人が人に好意を持つ。
あの人はこういう人だから、好きだ。
友人になる、恋人になる、夫婦になる。
そういう関係は、そういう人だとお互いが認識するから成り立つのでしょう?
その前提はその人は変わらないということですよね。
友達が絶交する。
恋人同士が別れる。
夫婦が離婚する。
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離婚の原因で価値観の違いというのをよく聞く。
それは、相手をより深く知ることによって、そんな価値観を持っているとは気付かなかった。
そんな人だとは思わなかった。見損なった。
そうかも知れない。
でもそれが全てではない。
結婚したときと、結婚生活を続けた後とでは本人が変化したとも考えられる。
人間というものは性格も含め変化するということを知っていれば、それはアタリマエのことじゃないですか。
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ならばとっとと別れてしまいなさいと勧めているわけではない。
人間は変化するものだと知っていれば、相手を変化させたのは自分であると気付くことも必要じゃないだろうか。
そして、相手によって自分も変化したのじゃないかと気付くべきなのです。
そうすれば、修復する可能性も出てくるんじゃないですか?
少しはね。(;^ω^A