・・・・・・っということで、多機能を謳う製品は案外使い勝手が悪い。
例えば、リバーシブルの服って両面使いますか?
カッターもジューサーもというような多機能調理器具って台所の隅っこで埃をかぶっていませんか?
ソファーベッドを買うなら座り心地の良いソファーにすればよかったと後悔していませんか?
様々なレシピが付いたオーブンレンジって、結局暖めるだけのレンジ機能しか使わないんじゃないですか?
万能ナントカという製品は、その中のどれ一つとっても使い勝手が悪くないですか?
結局、単機能で使い勝手を追求した製品のほうが良かったんじゃないですか?
・・・・・・
人間も同じだろうか?・・・と考える。
何でも出来る人って、結局何も出来ない人じゃないんですか?
単なる便利屋に止まらないですか?
やはりスペシャリストの方が重宝され、だからこそ給料も高いんじゃないですか?
要するにジェネラリストとスペシャリストの話なんですが。
これって、結構重要な話なんですね。
ナゼって、若い人はどちらを目指すかということなんです。
学校でも社会でも、最終的にはスペシャリストを目指すような教育をしますよね。
給料も高いしネ。
誰でも得意不得意がある。
だったら、得意な分野を伸ばそうと。
最初に話したスペシャリストのようなものです。
これはこれで間違った考えじゃない。
でも、疑問を挟むことも必要ではないでしょうか。
・・・・・・
言うまでもなく、スペシャリストの欠点。
それは、応用が利かないことです。
蛸壺のように深く深く掘り進んでしまい、隣が見えなくなってしまう。
世の中スペシャリストばかりだと危うい世界になる。
なのに、皆スペシャリストを追い求めて、何の疑いも持たない。
世の中の仕組みが変わると、スペシャルであるほど陳腐化しやすい。
こう考えていくと全体を俯瞰できるジェネラリストの重要性さに気付くでしょう。
ぼくが言いたいのは、日本の教育はジェネラリストの養成が不足しているんじゃないかということなんです。
今度の北海道のJRの事故。
福島の原発事故。
相次ぐ警察官の不祥事。
政治家の汚職事件。
これらは全て蛸壺の中の世界で起きた事件なのじゃないですか?
・・・・・・
昔の日本はもっともっとジェネラリストは尊敬されていた。
そして、誰もがジェネラリストを目指して勉強した。
今のような、文科系と理科系の分類もなかった。
文学に造詣の深い科学者なんてザラにいた。
機械の仕組みをきちんと理解している政治家もいた。
・・・・・・
さて、どういう人間を目指すのが良いのか。
単機能なのに、多機能。
こういう人間が今の日本にもっともっと存在すべきなのです。
はて、どういう人間なのだろうか?
そう考えていると、いい例が目の前にあることに気付きました。
和室です。
寝室であり、食堂であり、リビングであり、客間でもある。
西洋の家の造りとは全く違いますね。
では和室のような人間ってどういう人間なんだろ?・・・と考える。
・・・・・・