・・・・・・っということで、ヴェネツィア人について考えてみた。
イタリア自体が、多くの王国の集合体であり、それぞれ地域差があって当然のはずだ。
だから、ぼくのような門外漢が十羽一絡げに「イタリア人」というのは間違っている。
それでも、他のイタリア人とヴェネツィア人とはかなりの違いがあると思う。
例によって、貧しい予備知識と勝手な決め付けで話を展開するので、ご容赦願いたい。
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そもそも何でこのような干潟(ラグーン)に都市国家を建設したのか、そこから話を始めなければならないだろう。
干潟というのは、遠浅の沼のようなところだ。
ムツゴロウが住んでいるような場所を想像していただければいいだろう。
多少大きな島もあるが、殆どが小さな島しか点在していない。
まあ人が住むのに適した場所とはいえない。
しかも、国家を建設するなんて。
その大元(おおもと)は、やはり「恐怖」だったとぼくは思う。
正確な年譜は頭に入っていないが、東の騎馬民族に追われてこの干潟に逃げ込んだのがそもそもの始まりだ。
追いかける敵でさえ、こんな所に逃げ込んだなんて、想像できないような酷い場所なのだ。
ヨーロッパに住むということはそういうことなのだ。
根底には必ず人間に対する「恐怖」がある。
自分たちの身を守るには、城壁を作るか、こういう場所に逃げ込むことなのだ。
ヴェネツィア人の先祖のユニークなことはここしかないと決め、そこに定住することにしたことだ。
もちろん敵が攻めてこない代償として、とてつもなく住みにくい場所である。
住むためには、住むための土地から始めなければならなかった。
ご存知の通り、その土台となるものは、海中に打ち込んだ無数の木の杭だ。
蟻が物を運ぶように、対岸から木を切り出し、杭に加工し、一本一本手作業で海中に杭を打ち込み続けたのだ。
何年も、何代にも渡ってその作業は続けられたことだろう。
全く気の遠くなるような話だ。
現代なら、シートパイルを杭打ち機で打ち込み、周囲を囲って海水をポンプで汲み出し、土砂をバージで運んで入れれば完成だ。
たぶん5年もかからないんじゃないかな?
ところがそれを、全部手作業でやったのだ。
失敗もあっただろう。
木の杭だから腐食の問題もあっただろう。
沈下の問題もあっただろう。
それらの難題を克服しながら黙々と土地を広げ続けたのだ。
ヴェネツィア人の基本はそこにある。
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次にヴェネツィア人の気質を決定付けるものに、無類の船乗りであるこということだ。
当時の快速艇はガレー船であった。
ガレー船というのは、手漕ぎのボートである。
当時の常識として、ガレー船を漕ぐのは奴隷であった。
よく昔の映画で描かれていましたよね。
ドンドンと太鼓のリズムに合わせて、沢山の奴隷が鎖に繋がれて漕ぐんですね。
サボっていると鞭で打たれたりなんかしちゃって。(^_^;)
ところが、ヴェネツィア人は自分たちが漕いだのだ。
もちろん漕ぎ手でもあるし、同時に戦闘になれば戦闘員でもあったのだ。
これはスゴイ。
当時としても常識外の発想だったはずだ。
ぼくも多少カッターを漕いだ経験がありますから、これを知ってヴェネツィア人の根性のスゴさを感じるのである。
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最後に、ヴェネツィア人のガメツさだ。
もちろん商人としてのガメツさである。
十字軍に協力する代償として、関係ないコンスタンチノープルを陥落させるのに十字軍を利用したのだ。
これは歴史上の仰天事件じゃないだろうか。
自分たちの商売が有利になるならば、どんな手段を取ることも厭わない。
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以上が、ヴェネチア人を理解するベースとなる。
すなわち、忍耐力と、根性と、ガメツさだ。
あくまでもこれらは、理屈だけの話だ。
現代のヴェネツィア人、そもそもそんな者が居るかは甚だ疑問だが、そんなDNAを引き継いでいるとはとても思わない。
あれだけ難攻不落、巨大な富を誇った強力な海洋国家も、大砲の登場で防衛能力は無力化されてしまった。
あっけなく、ナポレンの軍門に下ったのはご承知の通り。
だから、ヴェネツィア人がそのままの形で残っているはずがないのである。
ぼくらに許されることは、そういうヴェネツィア人というユニークな人々が営々と築き上げた都市を眺めることによって、その時代の彼らに思いをはせることだけだ。