ローマの植民地 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、南フランスはとてもいい所です。

いい所とは、気候も温暖だし、農作物も豊富に採れるし、水にも恵まれていること。

ぼくが泊まったニームという都市は、ローマが勢力を広げている時代、初期の頃にローマに抵抗せずに植民地として受け入れた都市だそうです。

そういう意味で、ニームはローマ人にとって優等生の植民地なのです。

ご存知の通り、ローマ人が都市を作ったところはそのまま現代も続いているところが殆ど。

ローマ人の都市に適した土地を選択する臭覚はとても優れていたといえるでしょう。

ニームも行ってみて初めてわかることですが、とても風光明媚な素晴らしい土地です。

これはぼくの想像ですが、ニームは数ある植民地の中でも上位に位置するのではないでしょうか。

ほぼ平野で、南に行けば地中海。

北に上がれば小高い丘になっています。

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塩野七海の受け売りですが、ローマ兵は軍を勤め上げた後、イタリア以外の征服地に土地を得て余生を送ったのだそうです。

征服するには違いないのですが、力で押さえ込むのではなく同化する手法を取ったのです。

そのためには、被征服民族にローマの市民権を与えるのです。

もちろん優等生でなければ市民権は得られません。

そうして、力で占領を維持するのではなく、現地人と結婚し家族を持つことによって、同化していくのです。

こういう説明では、理屈でしか理解できません。

占領されたほうから見て、ローマの市民権が魅力でなくてはならないはずです。

そして同時に、抵抗してもローマ人には適わないと思い込ませることが必要です。

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フランスは当時「ガリア」と呼ばれていました。

カエサルの「ガリア戦記」を読めばお分かりの通り、彼らはローマに対して頑強に抵抗していました。

ローマが戦いに強かったのは、プロの兵隊を持っていたからです。

兵役に就いている間、彼らは基本的に戦うことしかしません。

(彼らは同時に優秀な工兵でもあったのですが。)

ローマ以外の民族は戦士には違いないが、平時には農民や狩猟をする生活のための働き手を兼ねていたのです。

いくら勇敢な戦士でも、寄せ集めでは、高度に組織化され実戦を積んできた軍隊に勝てるわけがありません。

こういう意味でローマ人には戦いで適わないのですが、それだけでは「いつかは復讐してやろう」という気持ちが残るものです。

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他に、適わないと思わせるには「文明」において適わないと思わせることが重要です。

ローマ人が占領した場所には必ずインフラが整備されます。

舗装道路であり、水道であり、橋であり、頑丈で、そしてここが大事なのですが、見栄えのいい建物を造るのです。

彼らの造った植民地には、そういった基本的なインフラ以外にも神殿が建てられる。

円形闘技場が造られる。

そして野外演劇場、大衆浴場と続く。

はっきりいって、ガリア人など野蛮人以外何者でもありません。

彼らはローマ人に圧倒的な文明の違いを見せ付けられるのです。

今回ぼくが見ただけでもビックリなのに、当時はもっとビックラこいたことでしょう。

こりゃぁ~~全く適わないって・・・。

そして、その驚きは憧れに繋がっていきます。

オラたちも彼らのような快適な暮らしをしてぇ~となる。

これなら、戦って元の不便な暮らしに戻るより、彼らと仲良くしたほうがいいと考えるに決まっています。

しかも、彼らは積極的に自分たちと親戚になって住み着こうとしているではないか。

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こういったことが、ニームの街を歩いて、そして小高い丘から街を一望したとき、スンナリとぼくの心の中に受け入れられるのです。

この土地は、ローマ人にとっても憧れの地であったに違いありません。

何も岩だらけの狭いイタリア半島で、小さな畑を持ってチマチマ一生を送るより、こっちで生活するほうが遥かにイイやと考えたはずです。

そう考えざるを得ないだろうと思わせる土地なのです。

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一方、ローマ人は自分たちの文明は最高地点まで上り詰めたと考えていたに違いないと確信するのです。

ぼくらは現代から眺めるから、彼らの文明はまだまだ原始的で発展の余地がいくらでもあったと知っているのですが、当時のローマ人は人類としてこれ以上発展はないと考えていたのではないでしょうか。

街の造りを見ればそれが判ります。

生活するうえで必要最小限の設備に留まっていないのです。

同じ生活するにしても「より豊かに暮らしたい」と欲していたのです。

円形闘技場は市民の娯楽施設以外考えられません。

野外演劇場にしても、知的な娯楽を求めていた証拠です。

特にこのことを感じたのは、あのマーニュ塔に上がってみたときです。

町全体を見渡すには、高い丘に上がりさえすれば事足りることです。

だけれども、さらにあれだけ高い塔を築いた。

より高い展望を得たいという、ただそれだけの目的しか考えられない。

自分たちの植民地(その頃にはもう故郷になっていたはずです)を寄り遠くまで眺めたい。

ホラ、東京タワーやスカイツリーの展望台に上がる気持ちと一緒じゃないですか。

あの辺りにおいて、あの塔は一大観光目玉だったのです。

ぼくには、当時の姿が見えるんです。

昼間は子供たちを連れた観光客が、沢山入り口で入場待ちの列を作っていただろうし、夜になれば恋人同士で最上部まで上がり、夜の街に灯るランプや松明の輝きを見てロマンチックな気分に浸ったはずです。

間違いなくあの周囲には屋台とか土産物屋でごった返ししていたことでしょう。

そうです、あの上から自分たちが作り上げた街を一望して、完璧だと思ったに違いないのです。

自分たちは、最高の文明を作り上げたのだと。

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ニームのような植民地、いやこれらを集めた自分たちの帝国が出来上がったとき、これをいつまでも守ろうとするのはアタリマエのことでしょう。

そういう感覚が得られて初めて、ローマがライン川やドナウ川のような国境防衛に心血を注いだことが理解できるのです。

これ以上書くと、ローマ史全体に話が飛んでしまいますので、この辺で止めておきます。

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もちろん同化は現地人からローマ人へと一方的な同化はありえません。

ローマ人も現地人に同化していかざるを得ないはずです。

すると、ローマから離れている植民地では自分たちのアイデンティティーが芽生えてくるはずです。

富んだ土地では、余計に地方自治という考えが強くなるはずです。

もちろん、こういった植民地には中央から代官(正式な名称を忘れてしまった)が送り込まれ、税金を納めなくてはなりません。

何年だったか代官を勤めれば、大金持ちになって中央に戻っていけたといいます。

中央に詐取され続けるのは真っ平ゴメンだとなる。

すると、ローマ帝国の時代が進むにつれ、ローマ以外の出身地の皇帝が次々に出てきたことも頷けるのです。

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以上、かなり大げさに感じられるかもしれません。

でも、ニームをはじめアヴィニョン、アルルを廻ってぼくが感じたことを正直に書きました。