・・・・・・・っということで、最近の大人が劣化しているように思えて仕方がない。
暴力を振るう教育者、
僅かな退職金の差が理由で早期退職してしまう教師、
金に目がくらんで日本の技術を平気で韓国・中国に売り渡してしまう技術者、
日本固有の領土を中国にくれてやろうとする元首相経験者、
何億という会社の金をギャンブルにつぎ込んでしまう経営者、
天下無敵のモンスターペアレント、
マナーというものを全く知らないフィットネスクラブ会員、
昼間っから酒を飲んでいるオヤジ、
(あっ、オレのことだ)
・・・・・・
そろそろマトモな大人を絶滅危惧種に指定してもいいのではないだろうか。
どうして世の中だらしない大人ばかりになってしまったのだろう?
こんな体たらくだから、若い人たちがどんな大人になりたいか、そういうヴィジョンを持てないのだ。
・・・・・・
原因はいろいろあると思う。
ぼくが思うに、その主たる原因は「コミュニティーの喪失」ではないだろうか。
村社会から都会へ、
大家族から核家族へ、
家族から一人住まいへ、
結婚から独身へ、
・・・・・・
日本はご存知の通り「無宗教」の社会である。
宗教の持つ大きな効能に「道徳」がある。
人を殺してはならない、盗んではならない、ウソをついてはいけない等は、どんな宗教でも教えているはずだ。
世界の大半は、キリスト教の倫理観、イスラム教の倫理観に基づいて道徳を教えている。
・・・・・・
では、日本のような無宗教or多神教の国の道徳は何に基づいて歯止めをかけているのだろうか。
それは「お天道さまが見ているよ」という言葉で表されている。
「誰も見ていないようだが、悪いことをすれば神様が見ていて、バチが当たるよ。」
別の言葉で言えば、「天網恢恢、疎にして洩らさず」であろう。
ぼくが思うに、本当に神様が見ているのじゃなくて、その地域社会が見ているというのが正解なのじゃないだろうか。
悪いことをすれば、いつかは自分が属す地域社会(コミュニティー)から「村八分」になって、追い出されてしまう。
実は日本ではこれが一番怖いことで、それなら悪いことをしないようにしようと、道徳的な歯止めがかかる仕掛けなのだ。
・・・・・・
もうぼくの言いたいことはお分かりだろう。
今の日本社会はコミュニティーが喪失してしまい、もうお天道様は見ていないのである。
こうなると、悪いことをしてもバチが当たらない世の中になってしまう。
こういう社会はとてもヤバい。
モラルが加速度的に壊れていくのである。
マナーを破ったって、罰せられない。
罰せられないどころか、破ったほうが得なのである。
今の日本はこういう社会になりつつorなってしまったのではないか。
いまさら日本を宗教国家にするわけにはいかない。
唯一の手段は、コミュニティーの再生だ。
そのためには、先ずちゃんとした大人にならなければならない。
・・・・・・でしょ?