・・・・・・・っということで、百科事典のブリタニカが廃刊になるそうだ。
1768年に誕生し、以来244年にわたり15版を重ねてきたそうだ。
実は、自宅にも平凡社の百科事典がある。
あるといっても、物置の中で虚しくほこりをかぶっているのだが。
このニュースを聞いて、時代は変わったとつくづく思う。
時代というものは、知らないうちに変わっていて、気付いたときは古いものは舞台から退場してしまっている場合が殆どだ。
百科事典販売という一つのビジネスモデルが、この世の中から消え去ったと言える。
あれだけ分厚く、重く、場所を取る書物は、今から思えば邪魔としか思えない。
パソコンの中のデータという形態をとる限り、質量も、重量もゼロだ。
百科事典の場合は、仕方ないとぼくも思う。
パソコン検索の威力を一度経験したら、もう元には戻れない。
電子辞書の普及で、辞書もほぼ同じ運命を辿っている。
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だが、他の書物はどうだろう?
新聞は?
雑誌は?
文芸書は?
それらを集めて公開している図書館は?
明らかに、デジタル化が出来る。
そう、デジタル化できるものはデジタル化し、無駄を省くべきだ。
そういう考えがいつの間にか支配的になって、紙の上に印刷したものは消え去る運命なのだろう。
それを扱う書店も、新聞屋などの商売も同時に消えていく運命なのだろう。
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一度、ぼくはニンテンドーDSで100冊の小説を読んだことがある。
でも、液晶画面で読んだ小説と、実際の本で読んだ小説では、何かが違うのである。
印象というか、感動というか、何かが残らないのである。
やはり、小説は本で、ニュースは新聞で読みたい。
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ところがそう感じるのは、ぼくのような古い世代だけで、うちの娘なんか液晶画面の文字を読むのに対しなんら抵抗がないようだ。
新聞も読まない。
そのくせ、ニュースは良く知っている。
いつの間にか時代は変わるものなのだ。
ビジネスモデルも変化してしまう。
そしてなにより、人間そのものが変わってしまうのだ。