・・・・・・・っということで、永遠の課題「幸せとはナンだろう?」について考える。
まずどういうときに「幸せだなァ~」と感じるか。
美味いものを食べたとき、あるいは飲んだとき。
美しい景色の中にいる自分を見出したとき。
感動的な音楽を聴いているとき。
あるいは○EXしているとき。
これらの幸福感は五感が満足されたときである。
だけれども、これ以外にも幸せを感じるときがある。
例えば、スポーツで勝利したとき。
仕事が成功裏に終わり、努力が報われたとき。
そういう幸福は、達成感と言うべきだろうか。
これらの幸福は長続きはしないが、だからといって幸福は長く続かないなんていう短絡的な結論を出しちゃいけない。
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そもそも、これらの幸福感を味わうには、自分が五体満足で健康でなくてはならない。
そうすると、健康こそが幸福なのか。
今は苦労していてとても幸福とは呼べないけれど、健康なのは何より幸福なことなのだ。
これは、かなり説得力のある説明だ。
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しかし、これでは健康じゃなけりゃ幸福ではないということになる。
不健康な人、あるいは五体不満足な人は幸福じゃないのか。
幸福を味わう権利はないのかということになる。
そうじゃない、どんなに体が不自由でも、「心の幸福」は得られると考えるべきだろう。
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では、心の幸福とはどういうことを言うのだろう?
それは、他人から愛されていると知っているとき。
それは、自分がこの世の中で意味のある人間で、存在そのものに意味を認められていると信ずるとき。
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でも、人間は何時までも若く、健康的であることは出来ない存在なのだ。
必ず不自由になるのだ。
不自由になって、最後は自らの意思では動けないようになる。
じゃあ、そうなるとその人は幸福ではないのか。
違う、愛する人に看護してもらい、そんな自分にさえも愛情を注いでくれる人がいると知っているのは、とても幸福なことである。
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しかしながら、そういう人に恵まれていない人たちは、残念ながらたくさん存在するのだ。
孤独に一人で死を迎えざるを得ない人たち。
そういう人たちは、もはや幸福というものは存在しないのか?
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ぼくはあると思う。
その人たちにさえ、最後まで自分を愛してくれる存在が、まだ残されているのだ。
それは、自分自身である。