国家について(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、国家のつづき。

同じ民族で構成された国家というものは、同じDNAということでアイデンティティーが明確である。

しかし、国家として拡大するためには、周辺国も征服していかなくてはならない。

古代の国家は、征服することイコール奴隷化ということになっていた。

しかし、このやり方には限界がある。

同じ民族だけで他民族を征服し領土を拡大するにするに連れ、支配に手間が掛かってくるようになる。

その結果、領土を守る兵力が手薄になってくる。

これが、民族国家の限界を規定してしまう。

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ここにもう一つの限界がある。

国を治めるリーダーの問題である。

国土を拡大あるいは維持するためには、継続して優秀なリーダーを排出し続けなければならない問題である。

アレキサンダーにしろ、チンギスハーンにしろ、優秀な王が出たときは順調に領土は拡大するが、次の世代になったら急速に衰退してしまう。

優秀なリーダーを輩出し続けるシステムがアキレス腱なのだ。

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それを上手く解決したのが、ローマ帝国である。

彼らは異民族を征服すると、彼らを自国民として同化させていったのだ。

民族は異なっても、同じローマ市民権を与えたのだ。

これは、当時としては画期的な発想の転換であった。

こうして、ガリア人やゲルマンなど、別のDNAを持った民族をも同化させ、ローマという「国家」の構成員としてしまったのだ。

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もう一つローマ人が発明した優れたシステムは、優秀なリーダーを輩出し続けるシステムを作ったことだ。

元老院によってリーダーを選挙(限られていたが)によって選出したことだ。

この結果、王の血縁が優先的に次のリーダーとされるそれまでの常識を覆し、優秀なリーダーを客観的に選ぶことが出来たのだ。

結局このローマの共和制は形骸化され「帝政」になってしまったが、ローマの政体は実に現代に似ていたのである。

ローマが長い間国家として栄えたのは、もう一つプロの軍隊を持っていたことであるが、これだけのシステムを作り上げたローマ人という民族の優秀さに改めて感心するのである。

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さて、急ぎ足で古代のヨーロッパの国家というものをおさらいしたのだが、ローマの政体は結局後の国家像として引き継がれず、「王制」や「君主制」「帝政」という、いわば独裁国家に逆戻りしてしまった。

では、アジアの国ではどうだったのか?

ぼくの意見ではつい最近まで同一民族による国家の域を出られなかったと思う。

アッチラとかチムールとか、特筆すべきリーダーが現れたが、単発的で、長期間にわたって存続する国家はついに生まれなかった。

特に、東南アジアの諸国は、国とさえもいえない小さな部族があちこちに存在しただけだ。

・・・・・・つづく。