鬱病について(その1) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、実家でビールを飲み、帰宅してからまたビールを飲んでいる最中。

そんな状況で書く話題ではないけれど、

「鬱(うつ)病」についての雑感をいくつか。

・・・・・・

会社でも鬱病を患っている社員多数。

ぼくの経験しただけでもその数は片手では納まらない。

中には、自殺してしまった同期の者もいる。

あるいは、部下だった新入社員が首吊り自殺をしてしまい、

自分の責任かと苦悩している上司も知っている。

ぼくも、何人かの鬱病患者を他部署から押し付けられたことがある。

事ほど左様に鬱病は身近な病気なのである。

これはれっきとした病気。

でも、なかなか理解されない。

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ブログの世界でも鬱病を患っている、あるいは過去にわずらったブロガー多数。

なぜかそういう人のブログに興味を持ってしまう。

そういう人のブログは読んでいて、かなりイタい。

自分の辛さを告白するからだ。

その辛さは、読者に弱みとして伝わる。

それに対する読者の反応は、

「辛いよネェ~」とか、

「正直に吐き出しちゃいな」とか、

「よく頑張ったね」とか、

「それでいいんだよ」とか、

「一人で悩みを抱えないでいいんだよ」とかのコメントが多い。

それは、鬱病を患っている人に「心を添わせる」ということで、方向的には絶対に間違っちゃいない。

でも、まるで子どもをあやすような口調が多いのは如何なものだろうか?

そんな言葉を欲しているのだろうか?

鬱病は病気だとはいえ、患者は馬鹿じゃない。

自分の不甲斐なさ、分かっていながら出来ないもどかしさを感じているはずだ。

さっき「心を添わせる」という表現を使ったけれど、それは「同情」と紙一重なのだ。

鬱病の患者は同情には敏感だ。

そうじゃない。

絶対に同情されたくないはずだ。

鬱病患者に対しても、言うべきは言い、突き放すべきは突き放すべきだと思う。

だが、「禁句」が存在する。

その禁句は人によって様々で、まるで地雷のようなものだと思っていい。

地雷を踏みたくないから、敬遠したくなる。

関わりを避けたほうが安全だ。

当たり障りのない、子供をあやすような付き合いのほうが失敗がない。

鬱病はれっきとした病気だ。

だけれどもぼくは、甘やかしたくないし、同情したくもないし、対等に付き合いたいと思う。

でも、それはとても難しい道。

・・・・・・

たぶん続く。