・・・・・・・っということで、実家でビールを飲み、帰宅してからまたビールを飲んでいる最中。
そんな状況で書く話題ではないけれど、
「鬱(うつ)病」についての雑感をいくつか。
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会社でも鬱病を患っている社員多数。
ぼくの経験しただけでもその数は片手では納まらない。
中には、自殺してしまった同期の者もいる。
あるいは、部下だった新入社員が首吊り自殺をしてしまい、
自分の責任かと苦悩している上司も知っている。
ぼくも、何人かの鬱病患者を他部署から押し付けられたことがある。
事ほど左様に鬱病は身近な病気なのである。
これはれっきとした病気。
でも、なかなか理解されない。
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ブログの世界でも鬱病を患っている、あるいは過去にわずらったブロガー多数。
なぜかそういう人のブログに興味を持ってしまう。
そういう人のブログは読んでいて、かなりイタい。
自分の辛さを告白するからだ。
その辛さは、読者に弱みとして伝わる。
それに対する読者の反応は、
「辛いよネェ~」とか、
「正直に吐き出しちゃいな」とか、
「よく頑張ったね」とか、
「それでいいんだよ」とか、
「一人で悩みを抱えないでいいんだよ」とかのコメントが多い。
それは、鬱病を患っている人に「心を添わせる」ということで、方向的には絶対に間違っちゃいない。
でも、まるで子どもをあやすような口調が多いのは如何なものだろうか?
そんな言葉を欲しているのだろうか?
鬱病は病気だとはいえ、患者は馬鹿じゃない。
自分の不甲斐なさ、分かっていながら出来ないもどかしさを感じているはずだ。
さっき「心を添わせる」という表現を使ったけれど、それは「同情」と紙一重なのだ。
鬱病の患者は同情には敏感だ。
そうじゃない。
絶対に同情されたくないはずだ。
鬱病患者に対しても、言うべきは言い、突き放すべきは突き放すべきだと思う。
だが、「禁句」が存在する。
その禁句は人によって様々で、まるで地雷のようなものだと思っていい。
地雷を踏みたくないから、敬遠したくなる。
関わりを避けたほうが安全だ。
当たり障りのない、子供をあやすような付き合いのほうが失敗がない。
鬱病はれっきとした病気だ。
だけれどもぼくは、甘やかしたくないし、同情したくもないし、対等に付き合いたいと思う。
でも、それはとても難しい道。
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たぶん続く。