ちゃんとした | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、怖いものといえば、

『地震・雷・火事・オヤジ』と昔から相場が決まっていた。

中に「オヤジ」という人間の要素が入っているところがこの格言のミソだろう。

いまの若者が聞いたら、何かの冗談だと思われるだろうが、オヤジは本当に怖かった。

昔はオヤジ以外にも怖い人が多かった。

学校の先生、警官、ご近所のオバサンやご隠居、そして何より「大人」が怖かった。

悪いことをすると叱られたからだ。

ぼくの祖父は警官だった。

明治の時代の警官は腰にサーベルを吊っていた。

口ひげを生やし、見た目も実際も本当に怖かったらしい。

ところがいまの警官はどうだ?

若者にはナメられ、怖くともなんともない。

先生だってそうだ。

何を言いたいかというと、いまの若い人には怖いという対象がなくなったということだ。

電車の中で大またを広げて座ろうが、化粧しようが、

フィットネスクラブの湯船で鼻をかもうが、かけ湯もせずに飛び込もうが、

自国の国旗に敬意を表しなくても、

誰も注意しないと知っているからなんとも思っちゃいない。

彼らは叱られた経験無しに、図体だけは大人になったのだ。

その原因は何なのだろう?

それは【権威】というものが著しく低下したからだ。

権威というものの実態は分かるようで分からない。

何となく近寄りがたい。

何となく皆が一目置いている。

何となく勝てそうにない。

何となく逆らっちゃいけない。

・・・・・・

そういった「何となく」が重なったもので権威は保たれるものなのだ。

そもそも権威というくらいだから、裏付ける実力があるから権威なのだ。

警官が制服を着るのも、裏にある実力があることを、暗黙に示すからだ。

ガードマンがいくら似たような制服を着ても、警官の制服には敵わないのだ。

ところが最近、裏付けになる実力が怪しくなってきたのだ。

権威に胡坐(あぐら)をかいて実力の蓄積を軽んじてきたのだ。

警官だって万引きをするじゃないか。

先生だって買春するじゃないか。

国会議員だって脱税するじゃないか。

もちろん一部の不届き者がそういう行為をするだけで、大部分の人間はリッパなはずだ。

だが、権威というものは一度失墜すると、元の高さまで戻すのは容易でないのだ。

「何となく」が、「何てことない」になってしまうと、

警官だって何てことない、サラリーマンじゃないかという事になる。

現代は情報が早い。

不祥事はすぐ伝わる。

そして、何度も繰り返される。

そして、このワリを食ってしまうのは、本当の権威だ。

例えば学問の権威、芸術の権威、そういった本物の権威まで、

何てことないの仲間入りさせられてしまうことだ。

これは問題だ。

社会全体の問題だ。

権威を恐れなくなることは、人類の不幸なのだ。

恐れを知らない大人は、これからもどんどんと生産されていく。

ぼくらは「恐れるな」と教わった。

だが、これからの若者には「恐れろ」と教えなくちゃならないのだ。

本当の怖さを、今回の大地震で皆体験したはずだ。

大自然の怖ろしさを思い知らされたはずだ。

ならば、権威の怖ろしさも復権せねばならぬ。

・・・・・・

だからといって、明日から電車でシルバーシートに座っている若造を叱れとは言わない。

だって、彼らはいままでの人生で叱られたことのない、可哀想な人種なのだ。

逆切れするしか反応する術(すべ)を持たない、哀れな人種なのだ。

だから先生に向かって、学級崩壊の原因を作るガキに鉄拳制裁を加えろとは言わない。

叱られたことのないガキの親も、実は叱られたことのない世代になってきているのだ。

どうすればいいのか?

まず、怖いものを知らない若者の存在を認識すること。

そして・・・

ちゃんとすることを心がけるのだ。

ちゃんとした警官。

ちゃんとした先生。

ちゃんとした政治家。

ちゃんとした大人。

そして・・・・・・

ちゃんとした

オ・ヤ・ジ




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