老子 | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、【老子】は何度も読んだはずなのに、


その教えが何も身に付いていない事実に愕然とする。


何度読んでも新しい発見があるという納得の仕方もあるが、簡単に忘れてしまう自分が悲しい。


また、老子を読み始めた。


冒頭に万物には最初は名前が付いていなかったと書いてある。


名前は表層的なもので、本質を表していないと。


ツイこの間、「自分」とはというテーマでこねくり返したばかりだ。


なんてことはない、老子を読めば明快に書いてあるのだ。


・・・・・・


そしてまた、名前について考えた。


例えば林檎。


林檎という名前を付けたばかりに、その説明をしなければならなくなる。


林檎についてこと細かく説明したとしても、林檎を完全に定義しきったわけではない。


そう、名前は不完全なのだ。


林檎そのものは存在するのに、その概念は人によって様々だ。


簡単な林檎でさえそうなのだから、自分とはなんていうことを考え出したらきりがない。


そうはいっても他と区別するために、人間は片っ端から名前を付ける。


でも、全部に名前を付けた気になっているが、名前を付けられないものも沢山あるはずだ。


実はそのほうが圧倒的に多いはずなのに、名前を付けたことによって人間は分かったような気になっている。


「ホントーに大事なものは名前が付けられないものかもしれない」


・・・と考えてみることは大事じゃないだろうか?


そして、名前とは仮のものであると、ときどき思い出すことも必要だろう。