無知であること | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、この齢になるといろいろと物知りだと思われる。

それは全くの勘違いで、とても重要なことも含めて、何も知らないも同然だ。

これは、なにも謙遜して言っているのではなく、全くの事実なのだからしょうがない。

例えば【理念】という言葉。

知っているようで知らない。

【理念型】となると、さっぱり分からない。

こうなると、辞書や百科事典を調べるしかない。

辞書一つをとっても、知らない言葉だらけだ。

もし、自分が物知りなら、辞書は要らないことになる。

自分が知っているのは辞書の中のホンの一握りの言葉。

しかも、それは間違って記憶している可能性も高い。

・・・・・・

言葉一つをとってもそうなのだから、世の中の事象、人間のことも、自然科学も何一つ知らないといっていいだろう。

これはぼくだけじゃないはずだ。

本当は、世の中の人間は全て、無知なのだ。

ところが、世の中のことはかなり知っていると誤解して生活している。

だって、とりあえずこの社会の中で生きてきたし、これからも生きていけると信じているからだ。

・・・・・・

お互い無知な者同士なのに、論争する。

そして最悪な場合、戦争をする。

もう少し、謙虚になれといっているのではない。

自分は無知だと知ることから始めろといっているのである。

無知だと知っていたなら、まず相手の言葉を聴こうとすはずだ。

相手も無知だと知っていれば、自分の言葉を理解しようとするはずだ。

無知な者同士でも、対話を通じて、お互いに成長できるはずだ。

・・・・・・

とっても簡単なことなのだ。

でも、出来ない。