母親の愛(その3) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、上手くまとまらんなぁこのテーマ。


・・・・・・


母性愛を理解するために一度ブログで書こうと思ったことがある。


それはクヌート である。


そのときは、筆を止めたが、今回は一寸だけ前に進めることにする。チョッとだけね。


そう、疲れる。


障害を持った子供も歳をとる。


そして、親も老いる。


ある知恵遅れの子供が親に向かって言い放った、


「私が死ねばいいと思っているんでしょう?」


ギョッ!これ本当の話。


またある障害児を持つ親に向かって無神経な友人(?)が言った言葉、


「死んでくれと思ったこと無い?」


ギョギョッ!!これも本当の話。


・・・・・・


母親ならこう思うでしょう、


「死ぬんだったら一緒」


・・・・・・


ホッキョクグマと違って、人間は育児放棄をするわけにはいかない。


それは、人間は社会性のある動物だからだ。


現代は障害児を社会全体で面倒を見ることになっている。


皆さんも、それに税金を使うことは当然だと考えてほしい。


親の肉体的、精神的、金銭的、その他モロモロの苦労はとても個人で負担できるものではない。


施設で面倒を見ることに最終的にはなる。


だが、施設は面倒は見るといっても、障害児を愛することは出来るだろうか?


殆どの親が我が子を施設に入れることに抵抗があるのはそのためだ。


特に母親は嫌がる。


父親はあまり抵抗が無いように見える。


だからといって父親に愛がないかというと、そうじゃない。


愛は愛でも、母性愛は格別なのだ。


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ある父親は躾だといって、我が子に厳しく当たる。


ところが、上手く行くはずが無い。


だって、犬や猫とは違うのだ。


ペットは可愛がれるのに、何で我が子を可愛がれないのだろう?

それは人間だからだ。


動物に対する愛と、人間に対する愛は全く違うのだ。


人間としての期待が大きすぎるのだ。


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だが、母親は違う。


我が子を愛することに何の疑いも持たない。


理屈ではない。


与えた愛に見返りを期待できないと分かりきっていても、愛する。


そう、これこそ【無償の愛】なのだ。


宗教でいくら愛を説いても、母性愛以上のものは無いのだ。


特定の宗教に帰依しなくとも、「宗教的な生き方」って出来るのだ。


そして、そういう生き方をしている人は世の中にたくさんいるのだ。


・・・・・・


この項、おわり。