・・・・・・・っということで、なんでブログを書くのだろうっていう疑問、
数多く発せられていますよね。
ぼくも何度も発してきた。
そういう疑問を発する理由は、
ブログというものが新しい個人の発信手段であって、
上手く定義されていないことによると思われる。
だって、たかが日記ですよ。
それも、公開日記ですよ。
・・・・・・
ブログにハマる人もいるし、
ぜんぜんハマらない人もいる。
ハマった人は、ブログの魅力に引き込まれる。
そして思う、
なんで、自分はブログを書くんだろうと・・・・
皆さんお分かりの通り、ぼくなんて、
どうせハマるなら徹底的にハマろうと思ってやっている。
還暦近くになって、バカだなぁ~~っと笑われようと、
ぼくはハマる。
徹底的にハマる。
だって、面白いじゃないですか。
新しく出来た情報発信ツールで、まだ定義されていないってことは。
中途半端じゃなく、どっぷりハマる。
これほど好奇心を刺激されることってないでしょう?
そして、ささやかだけれども、ブログを通じてリアルに交流してくださる
殊勝な?
変わり者の?
好奇心旺盛な?
心優しき?
ブロガーもいる。
そして一緒に付き合って飲んでくれる。
・・・・・・
ブログをやっていなければ、想像もできないことでしょ?これって。
Path Finderとして、これほど刺激的なことはない。
・・・・・・でしょ?
ぼくにとってブログを書く理由。
それは、【生きた証】を残そうとする本能なんです。
これは、タブンしばらくぼくの中の定義として変わらないと思う。
でも、新たにブログについて考えた。
ブログって【遺書】なのだと・・・。
遺書は遺書でも、長々と続く遺書なのです。
終わりのない遺書。
いや、死んだときに初めて完結する遺書。
誰に対して遺す遺書?
・・・・・・
それは、ぼくの子供たちに対する遺書なんです。
いまは父親としてのぼくを二人の娘は理解していないと思う。
でも、ぼくが死んだ後、ぼくを知る手掛かりはどこにあるのだろう?
家族旅行のときの写真?
それはほとんど役に立たない手がかりです。
あれほどウザいと思っていた父親の笑顔を見て、
もう少し優しくてあげたらなぁ~
・・・っと感傷に更ける。
でも、それは正確な父親像じゃないんです。
まさしく、美化した父親像なのです。
実際の父親はもっともっとギラギラした、
まさしくウザい存在だったのです。
・・・・・・
だから、ぼくは正直に書く。
出来るだけ正直に書く。
だって、二人の娘に対する遺書なんだから。
ウソは書きたくない。
出来るだけ・・・。
・・・・・・
ぼくが死んだ後、ぼくの娘たちがぼくが残したブログを読む。
毎日毎日ぼくが残した日々の記録。
バッカだなぁ~~と笑って欲しい。
願わくば、毎年のその日のブログを読むことを日課として欲しい。
そして、何度も読み直して欲しい。
そのときの娘たちが、ぼくのこの齢をずっと超えてオバアチャンになっても、
読んで欲しい。
・・・・・・
そして続けられるだけ続ける、
・・・・・・・っということで、