・・・・・・・っということで、昨晩飲みながら書いた文章そのまま貼り付けます。
マア、酔っ払いの戯言(わわごと)なので、支離滅裂、意味不明、理解不能、言語道断・・・な展開です。
そのくせ、難しいテーマを考えている。
・・・・・・
幸福と不幸について考えた。
みんな幸せになりたいって願っているよね。
じゃあ、その思い描く幸福の姿ってなに?・・・っと聞かれれば、
お金持ちになること、カッコイイ異性とイチャ付くこと、健康で長生きすること、沢山の良い友人に囲まれること、
生きがいのある仕事に就くこと、沢山の人に愛され尊敬されること、朝寝朝酒朝湯の毎日が送れること
・・・・・このくらいかな?(発想が貧困だ。)
人によっていろいろな幸福の形ってあるよね。
そこで、いま幸せかい?・・・っと問われれば、
ハイ、幸せですっ!って答えられる人います?
まあ、幸せだと思っていても、そう言っちゃいけないっていう心理って、正直あるでしょ?
なぜなら、自分の幸福ってもっと先があるはず、ここで満足せずにもっと幸せを求めるべきだという気持ち。
これは、一種の優等生的な心理が働いているんでしょうね。
他人から見て幸福そのものの生活を送っている人でも、本人は幸せじゃないと思っている確率は高い。
ウンニャ、ワシの幸せはこんなもんじゃぁ~ない・・・と。
じゃあ、世の中に幸せだと思っている人いないという事にならない?
ここで出てくる言葉が、「足るを知る」。
自分は幸せか?・・・っと、考えている時点で、十分に幸せなんだと。
それは一面の真理を含んでいる。
自分の過去を振り返ると、「あぁ"~~~幸せぇ~~~」って、瞬間あったでしょ?
そんなに数多くはないだろうけどサ。
でも長続きしない。
ホンの一瞬。
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こう考えていくと、幸福って:
【幸せは確かに存在するが、長続きしない。】
【人間はそこで停止せずに、更なる幸せを追い求める宿命を背負っている。】
と定義してもいいかも知れない。
ぼくらはそんなものを求めて、生きているんだということ。
・・・・・・
反対に、不幸というものを考える。
不幸には、幸福を考えた時に出てきた「足るを知る」なんて言葉は出てこない。
だって、放っておけば不幸はさらに悪くなる性質を持っているから、
もう足りましたとこちらが宣言しても、不幸は手加減しちゃくれない。
不幸を考えていると必ず出てくるのが:
「もっと不幸な人がいるんだから」って言葉。
これは魔法の言葉で、グッと踏み止まれた人も多いはず。
不幸について考えをもっと進めてもいいんだけれど、暗くなっちゃうのでここで止めておく。
物足りないと感じるかもしれないけれどね。
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ここまで考えると、幸福の上はキリがないということ。
反対に不幸の下もキリがないこと。
そうすると、不幸と幸福は連続性がなければならない。
だって、不幸からどんどん上に上がっていけば、いつかは幸福になるんだから。
そうでしょ?
そうすると、不幸から幸福に、あるいは幸福から不幸に切り替わる境目があるはずじゃないですか?
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でもサ、幸福をずっと上に辿っていくと、もっともっと幸福になると思っても次の瞬間不幸のどん底に落ちる事もあるじゃないですか。
例えば、宝くじで3億円当たって幸福の絶頂にいたら、その当選金目当てに殺されちゃったなんて話しあったよね。
逆もありますよね。
不幸のどん底に喘いでいたら、突然3億円の現金を拾っちゃったとかサ。
そうすると、幸福の先には不幸があり、不幸の先には幸福があるということになる。
幸福と不幸は一本の線かと思っていたら、じつは閉じた輪だったと考えることも出来る。
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変ですよね、今まで辿ってきた話の展開。
幸不幸をリニアに考えるからこういう(間違った)考えに陥るんですよ。
幸福というものをリニア(線状)に考えるから、幸福と不幸の境目は?なんてことを考えちゃうんです。
幸福と不幸は、リニア(Linear)ではなく、平面(Planar)で繋がっていると考えるべきなのです。
しかも、その幸不幸には濃淡があり、その濃淡はいくつもの種類があり、面に染みを作っている。
どういうことかというと、最近洋服の生地で流行っている迷彩色(カモフラージュ柄)を思い描くと分かりやすい。
さらに言うと、その幸不幸の迷彩柄は濃くなったり薄くなったり、面積が広がったり狭まったりして常に動いている。
そういう風に幸福と不幸を認識すると、
最初に言った、幸せの形っていろいろあるということが分かる。
貧乏な生活を送っている人でも、働き者で親孝行の息子がいるとか、
大金持ちでも、非行に走って手の付けられない息子がいるとかね。
みんな、様々な幸不幸を抱えながら生きているってことなんじゃないかい?
・・・・・・以上。
イヤ、こういう平凡な結論で終わるつもりはなかったんですよ。
じつは、もう一歩先に行って、幸福と不幸を考えてみたいんです。
幸福や不幸って、どうして生じるかというと、それに拘(こだわ)るからでしょ?
拘らなければ、幸不幸という感情そのものが生じないんじゃないか?
一切のこだわりを捨てれば、幸不幸から自由になれるんじゃないかい?
だって、今まで考えてきたように、幸不幸って結局相対的なものでしょう。
こだわりを捨てれば、他人を羨(うらや)んだり、卑下したり、慢心したり、軽蔑したり、蔑(さげす)んだりする心が生じないんじゃないだろうか。
そういう気持ちを何というのだろう?
「一切のものをあるがままに受け入れる気持ち」
・・・っていうんじゃななかったっけ。
・・・・・・
ヤッパ、平凡な結論でした。(^_^;)