・・・・・・・っということで、人間が定義したもの(その2)。
地球の歴史46億年に比べれば、人類の歴史なんて短いもの。
地球の歴史を1年に例えると、人間が類人猿から分かれて猿人が誕生したのが、12月31日の午後2時ころ。
縄文時代は12月31日午後11時42分ころ。
恐竜が生存した期間は15日間。
人類(まだ10時間)は果たして、恐竜を超えられるだろうか?
なんか、無理のような気がする。
・・・・・・
人類が居なくなっても、間違いなく地球は回り続ける。
人間が破壊した自然も、いつかは地球自ら癒すことだろう。
全く異なった生物が地球上に繁栄することだって大いにありうるだろう。
また「美しい地球」が再生されるにちがいない。
・・・・・・
だが、それにどんな「意味」があるのだろう?
美しいものを美しいと形容する人間なしに、
その美しいものに、いったい何の意味があるのだろう。
もし、神が存在するのなら、神を崇拝する人間なしに、神は毎日何をすればいいのだろう。
人間が生まれる前のように、また恐竜を相手に退屈な日々を送ることになるのだろうか。
「言葉」を持たない動物を相手に。
神だって、人間が定義したものだ。
「言葉」によって。
・・・・・・
こう考えていくと、世の中のものは全て、言葉があって初めて存在することに気付く。
空というから空があるのであって、海という言葉があって、はじめて海がそこに存在するのだ。
そこに言葉があり、その言葉を認識する人間があって初めて、そこに「存在」するのである。
確かに犬や猫にとっても、空も海も存在する。
だけれど、彼等は存在という言葉自体を知らない。
存在に対して興味もない。
只只、毎日を生きるために生きているだけだ。
人類が滅亡したあと、地球は彼等を乗せて回転し続けるだけだ。
それに一体何の「意味」があるのだろうか?
・・・・・・
「美」だって同じ、「愛」だって同じ、「希望」だって同じ、全部言葉があるからそこにあるのだ。
動物達が星空を眺めて、「美しい」なんて絶対に思わないのだ。
美しいという言葉を持たないからだ。
美しいと感じるのは、人間だけなのだ。
・・・・・・
だから、ぼくは思う。
人類が滅びた後の地球に、なんの「意味」があるのだろうかと・・・。
・・・たぶんこの話のつづきはない。