親父のこと(その1) | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、このあいだ親父と話をした。


母親が手術で入院しているとき、時間があったので久しぶりに親父と話した。


多分、これまででいちばん長く話したかも知れない。


それでも、30分までもは話さなかっただろう。


今年85歳になる親父。


話していて気付いたのだが、ぼくは親父のことを殆ど知らなかった。


あまりにも身近なものだから、知っている気分になっているだけで、


その実なにも知らないことに気付いた。


皆さんはどうだろう?


親父のことを知っていますか?


親父と、30分以上話したことありますか?


・・・・・・


親父の親父、即ちぼくの祖父は警察官をしていた。


明治の警官は、腰にサーベルを下げ、偉そうにしていたらしい。


ぼくが記憶する限り、祖父は独特の伊予弁(愛媛県の方言)を話す好々爺というイメージが強い。


酒好きの特徴である鼻の下が長くて厚く、赤ら顔の風貌をしていた。


実際、酒好きであった。


好きどころか、大酒飲みだったそうだ。


親父は4人兄弟の長男だった。


親父の母親、即ちぼくの祖母はものすごく負けず嫌いの明治の女だった。


親父は相当に習字が上手いのだが、その親父も一目置くほど祖母は字が上手かった。


子供の頃、おばあちゃんから手紙をもらっても、あまりにも達筆なものだから読めなかった。


それでも、おばあちゃんにしてみれば、子供に読みやすい字を書いたつもりだったろうが。


男に生まれていたら、相当な人物になっただろうと言われていた。


このあいだ、病院で親父が話したのは、祖父のことであった。


・・・・・・


ぼくが持っている祖父のイメージは好々爺だったと言うと、


親父は言下にそれを否定した。


親父の口から初めて、祖父はろくでもないヤツだったと聞かされた。


勤務後は必ず飲み屋とか、待合茶屋で酒を飲んでいて、真っ直ぐ帰宅することがなかったそうだ。


給料はほとんど家には入らず、そのまま飲み代とか、女遊びに消えていたそうだ。


祖母はそんな中、生活費を切り詰めながらも家の中を切り盛りしていたらしい。


そして、酔っ払った祖父を迎えに行くのが、長男である親父の役目だった。


親父はそれが嫌で嫌で堪らなかったそうだ。


そりゃそうだろう、まだ小学生2年くらいの坊主が、毎晩暗い橋の袂で親父の帰りを待っている図だ。


父親が交番から帰る途中の橋で、酒を飲みにいく前に捕まえて連れて帰る役目だ。


子供が迎えに来れば、飲み屋に行ったとしても、店側が気を使って早く帰してくれるだろうとの祖母の作戦だった。


だけれども、祖父はそのまま親父の手を引っ張って、待合茶屋に連れて行ったりしたそうだ。


祖父が飲んだり遊んだりしている間、親父はじっと待っていなくてはならない。


化粧の濃い酒臭い芸者が、親父にお菓子なんかをくれるのが、また嫌で堪らなかったそうだ。


・・・・・・つづく。