・・・・・・・っということで、このあいだ親父と話をした。
母親が手術で入院しているとき、時間があったので久しぶりに親父と話した。
多分、これまででいちばん長く話したかも知れない。
それでも、30分までもは話さなかっただろう。
今年85歳になる親父。
話していて気付いたのだが、ぼくは親父のことを殆ど知らなかった。
あまりにも身近なものだから、知っている気分になっているだけで、
その実なにも知らないことに気付いた。
皆さんはどうだろう?
親父のことを知っていますか?
親父と、30分以上話したことありますか?
・・・・・・
親父の親父、即ちぼくの祖父は警察官をしていた。
明治の警官は、腰にサーベルを下げ、偉そうにしていたらしい。
ぼくが記憶する限り、祖父は独特の伊予弁(愛媛県の方言)を話す好々爺というイメージが強い。
酒好きの特徴である鼻の下が長くて厚く、赤ら顔の風貌をしていた。
実際、酒好きであった。
好きどころか、大酒飲みだったそうだ。
親父は4人兄弟の長男だった。
親父の母親、即ちぼくの祖母はものすごく負けず嫌いの明治の女だった。
親父は相当に習字が上手いのだが、その親父も一目置くほど祖母は字が上手かった。
子供の頃、おばあちゃんから手紙をもらっても、あまりにも達筆なものだから読めなかった。
それでも、おばあちゃんにしてみれば、子供に読みやすい字を書いたつもりだったろうが。
男に生まれていたら、相当な人物になっただろうと言われていた。
このあいだ、病院で親父が話したのは、祖父のことであった。
・・・・・・
ぼくが持っている祖父のイメージは好々爺だったと言うと、
親父は言下にそれを否定した。
親父の口から初めて、祖父はろくでもないヤツだったと聞かされた。
勤務後は必ず飲み屋とか、待合茶屋で酒を飲んでいて、真っ直ぐ帰宅することがなかったそうだ。
給料はほとんど家には入らず、そのまま飲み代とか、女遊びに消えていたそうだ。
祖母はそんな中、生活費を切り詰めながらも家の中を切り盛りしていたらしい。
そして、酔っ払った祖父を迎えに行くのが、長男である親父の役目だった。
親父はそれが嫌で嫌で堪らなかったそうだ。
そりゃそうだろう、まだ小学生2年くらいの坊主が、毎晩暗い橋の袂で親父の帰りを待っている図だ。
父親が交番から帰る途中の橋で、酒を飲みにいく前に捕まえて連れて帰る役目だ。
子供が迎えに来れば、飲み屋に行ったとしても、店側が気を使って早く帰してくれるだろうとの祖母の作戦だった。
だけれども、祖父はそのまま親父の手を引っ張って、待合茶屋に連れて行ったりしたそうだ。
祖父が飲んだり遊んだりしている間、親父はじっと待っていなくてはならない。
化粧の濃い酒臭い芸者が、親父にお菓子なんかをくれるのが、また嫌で堪らなかったそうだ。
・・・・・・つづく。