神についての雑感 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくは神を信じていないが、無神論者でもない。


神を信じる人たちを馬鹿にしていないどころか、


なれるなら信じることが出来る人になりたいとさえ願っている。


・・・・・・


だが、宗教でぼくがどうしてもイヤだなと感ずる点がある。


それは、何でも神の御心として片付けてしまう、


そのあっけらかんとしているとさえ思えるやり方で、


心の整理をつけてしまう点だ。


よく指摘されることだが、キリスト教の懺悔において、


聖書のフレーズを何度か繰り返せば犯した罪が許されるという、


その安易なシステムが一つの例だ。


特定の宗教には属していないけれど、宗教的な生き方をする人を何人も知っている。


そういう人たちは、もっと正面から自分の問題に向き合っているように思える。


なにも、特定の神に解決法を丸投げするようなことはしていない。


・・・・・・


たとえば、「愛」だ。


キリスト教は神の「愛」を説く。


余計なおせっかいだ。


「愛」こそは、人間が解決すべき価値ある問題じゃないだろうか。


最終的に、神に解決を委ねたとしても、


人間が解決しようと悩みぬく問題であるべきだ。


悩むという過程を経たからこそ、人間は成長をするのではないか。


・・・・・・


たとえば、「死」だ。


世の中に一律の「死」などはない。


人それぞれに生きてきた背景があっての「死」であるはずだ。


「死」と向き合って、自ら生きてきた意味を問いただす行為。


そういう行為こそが、人間が生きる上で必要な価値ではないだろうか。


それを神の名の下に奪ってはならない。


・・・・・・


最終的には、神でもいい。


その前に、人間という存在を、


人間という自由意志を持った個人を、


もっともっと大切に考えて欲しい。