・・・・・・・っということで、ぼくは神を信じていないが、無神論者でもない。
神を信じる人たちを馬鹿にしていないどころか、
なれるなら信じることが出来る人になりたいとさえ願っている。
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だが、宗教でぼくがどうしてもイヤだなと感ずる点がある。
それは、何でも神の御心として片付けてしまう、
そのあっけらかんとしているとさえ思えるやり方で、
心の整理をつけてしまう点だ。
よく指摘されることだが、キリスト教の懺悔において、
聖書のフレーズを何度か繰り返せば犯した罪が許されるという、
その安易なシステムが一つの例だ。
特定の宗教には属していないけれど、宗教的な生き方をする人を何人も知っている。
そういう人たちは、もっと正面から自分の問題に向き合っているように思える。
なにも、特定の神に解決法を丸投げするようなことはしていない。
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たとえば、「愛」だ。
キリスト教は神の「愛」を説く。
余計なおせっかいだ。
「愛」こそは、人間が解決すべき価値ある問題じゃないだろうか。
最終的に、神に解決を委ねたとしても、
人間が解決しようと悩みぬく問題であるべきだ。
悩むという過程を経たからこそ、人間は成長をするのではないか。
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たとえば、「死」だ。
世の中に一律の「死」などはない。
人それぞれに生きてきた背景があっての「死」であるはずだ。
「死」と向き合って、自ら生きてきた意味を問いただす行為。
そういう行為こそが、人間が生きる上で必要な価値ではないだろうか。
それを神の名の下に奪ってはならない。
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最終的には、神でもいい。
その前に、人間という存在を、
人間という自由意志を持った個人を、
もっともっと大切に考えて欲しい。