・・・・・・・っということで、人はみなバランスを取って生きている。
今回は愛と憎しみを例に、このバランスについて語ってみましょう。(^O^)/
君はいまシーソーの真ん中に立ってバランスをとっているとしましょう。
これが人間の世界で生きている君の姿です。
なぁーに、最初は難しいと思うでしょうが、じきに慣れるさ。
子供がスノーボードをマスターするようなもんさ。
・・・・・・
シーソーの向こうに君の好きな彼女がいるとしよう。
君は彼女に近付きたくてしようがない。
でも近付こうとすれば、中心から外れなければならない。
たちまちバランスを崩して、君は痛い目に遭わなければならない。
・・・・・・
彼女に近付くためにはどうすればいいか。
彼女に近付いた分、シーソーの反対側に錘(おもり)を載せることです。
・・・・・・
そうなんです、彼女に近付けば近付くほど、錘を重く、あるいは遠くに置かざるを得ないので
す。
その錘って、ナンだと思います?
・・・・・・
そう、
アナタは鋭い。
そうなんです、
その錘の正体、
「愛」とは反対の概念。
それは、「憎しみ」なんです。
・・・・・・
バランスをとって生きるとはそういうことなんです。
知らず知らず、人間は逃げ場を確保している。
人を愛するということは、危険なことなんです。
全身全霊で人を愛するなんてことは、言葉では簡単に言えるけれど、
本能として、それが失敗したときの「逃げ道」を無意識に準備しているのです。
その逃げ道は、愛が強ければ強いほど大きいのです。
まるで、シーソーの反対側に錘を増やすように。
・・・・・
そしてバランスが崩れる。
あんのじょう崩れる。
君の愛が強ければ強いほど、崩れる確率は高くなる。
なぜなら、バランスから考えると、異常な事態だからです。
・・・・・・
賢者はアドバイスする、
あまりに、バランスの中心から外れるなと・・・・・・
ところが、そんなアドバイスは若者にとって、何の役にも立たない。
何度もシーソーから落下し、
落下し、
繰り返し落下し続け、
そして学ぶ。
学ばないヤツラが殆どなんだけど、
一応学ぶ。
そういうプロセスを辿って若者は大人になる。
・・・・・・
ところが、ぼくら若者とは言いがたい、
けっして若気(わかげ)の至りと簡単に片付けられない世代の人間はどうなのよっ!!
・・・・・・
ねえ、
どうなのよっ!!
思いっきり、シーソーの反対側に溜め込んだ「憎しみ」を相手にぶつけるだけなのですか?
・・・・・・
それって、芸がないですよね。
大人として、
れっきとした大人として、
それは、芸がなさ過ぎますよね。
・・・・・・
どうです?
ねえ
どうです?
・・・・・・
大人の愛は、もっと
もっと上のレベルで語られるべきでしょ?
あのぉ~
これてフィクションでしょうか?(;^ω^A