・・・・・・・っということで、最近「・・・つづく。」と書いたままゼンゼンつづかない文章が多いですよね。
この「ファジーな日本人」シリーズ(?)も放置したまま忘れていた。
エット、何を言おうとしていたんだっけ?
それさえも忘れてしまうのだから、始末に負えませんナ。
・・・・・・
欧米に比べ、日本はファジーであると音楽、言語、宗教などの例を挙げて指摘したのが(その1)だった。
そして、ファジーなことは海外に於いて、欧米と競争するうえで日本の弱点ではないかと分析した。
だが、それはホントーに弱点だろうか?という問いかけで終わった。
さて、このつづきだが、弱点どころか、それを日本の強みとしようというのがこのシリーズのテーマだ。
日本人の持つ曖昧さをファジーと表現したのだが、よく例えで出てくる「わび」「さび」を外国人が理解するのは困難だ。
最近は「和の心」なんていうコピーも見受けられるが、その心は何かを説明することは不可能に近い。
少なくともいえるのは、「日本人はグレーゾーンが好きだ」ということだ。
色の表現も、「あ行」の一部だけでも、こんなにある。
藍(あい)
茜色(あかね)
緋色(あけいろ、ひいろ)
浅葱色(あさぎいろ)
小豆色(あずきいろ)
亜麻色(あまいろ)
鶯色(うぐいすいろ)
江戸紫(えどむらさき)
葡萄色(えびいろ)
臙脂色(えんじいろ)
黄丹(おうたん、おうに)
ちゃんと全部をイメージできる人がいます?
欧米人なら、いちいち名前なんか付けずに、色見本帳を持ってこい!となるでしょうね。
明け方の表現でもものすごくある。
明け(あけ)・夜明け(よあけ)・暁(あかつき)・東雲(しののめ)・曙(あけぼの)・黎明(れいめい)・彼誰時(かわたれどき)など。
こういった微妙な色や時間に表現が豊富だということは、
「日本人はグレーゾーンが好きだ」という証拠じゃないでしょうか。
それに対し、外国人は白黒に分けることを好む。
善か悪かってな具合にね。
罪を憎んで人を憎まずなんていう表現は、彼等にとって理解不能でしょうね。
何でも、区切りたがる。
・・・・・・
さて、どちらがより優れているのでしょうか?
ぼくは、日本人の考え方の方が、より現実的であると思うのです。
世の中を見渡して御覧なさい。
グレーばかりですよ。
いちいち例は挙げないけれど。
そういうグレーの部分を、キッチリ整理出来るという方が間違っている。
整理しようとするから、摩擦が起きる。
アメリカのやり方なんか見ていると、滑稽なくらいだ。
こういうことを言うと、じゃあ、ヤクザの存在を許容するのかという連中が出てくる。
ぼくは許容はしないが、上手く共存するしか手がないだろうという立場だ。
社会の中でそれなりの理由があって存在するものだから、根絶は無理だろうと思うだけである。
世の中グレーだらけだということは、誰でも知っていることだ。
日本人の優れていることは、そのグレー部分を愛することが出来ることだ。
グレーを「曖昧」と言い換えてもいい。
曖昧さを愛することが出来る人間というものは、「大人」しか出来ないんじゃないだろうか。
・・・・・・
そうなんです。
日本人は大人だったのです。
いまは、欧米の合理的な考えに支配されているが、本来、日本人は大人の目で世の中を見ることが出来る民族だったのです。
これは、日本人の強みだと気付き、その「大人度」を磨くことです。
これから世界において日本人が生きていく道はこれしかないのです。
それに反して、いまの日本人は世界で「子供」を演じている。
誠に情けない。
・・・end.