刷り込み | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ハーバード大学のサンデル教授の公開授業。


【戦争責任は直接の関わりがない今の世代も引き継いで謝罪や賠償をすべきか】


を議論のテーマとして提示した。


なかなかきわどい、いいテーマだ。


議論の内容とは別に、ぼくが引っかかった点がある。


こういうテーマを与えられた日本人は、全て「自分が加害者」であることを前提として議論していることだ。


何の疑いもなく、戦争責任という言葉を聞いたとき、日本人は自らを加害者として考える。


これは恐ろしい「刷り込み」だと思う。


当時を冷静に振り返れば、色々な歴史解釈が出来る。


確かに、個別の事例でひどいことをしたことは認めよう。


だが、大きな流れの中に、「仕方のない面」があったことも認められるべきである。


全て日本が悪かったなどということは、常識的に考えられないはずだ。


米国も、ロシアも、英国も、そして中国も日本を戦争に突き進ませた責任はある。


まあ、日本が(大きな意味で)戦争下手であったため負けてしまったのだから、何も言えないだけなのだが。


・・・・・・


話を戻して、米国は勝ったのだから正しいという態度が身に染み込んでいる。


中国は常に侵略された被害者と勝者を上手く使い分けている。


本当に日本は加害者なのか。


ぼくは、加害者であると同時に「被害者」でもあるはずだと考える。


あれだけ多くの国民の命を犠牲にした戦争だ。


被害者といえないはずがない。


広島・長崎の原爆で死んだ多くの市民は、被害者ではないのか。


そういう行為を行った米国は加害者ではないのか。


米国がよく使うフレーズの、「人類に対する犯罪」ではないのか。


日本人は、加害者一辺倒の刷り込みからそろそろ脱してもいい時期だと思うのだが。