宗教的な生き方 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくは宗教を否定しない。


否定しない理由は、宗教の持つ「効能」を認めるという、プラグマティズム的な考えが元になっている。


神の存在については、実際に居ようが居まいが、どちらでも良いという立場だ。


これは、無神論者とは違う。


神を信じる人たちの気持ちは理解できるつもりだからだ。


正直なところ、心の根底には、神がいてくれればいいなぁという気持ちがある。


こういうシニカルな見方をする限り、今後、ぼくが特定の宗教にのめり込むことは、たぶんないと思う。


・・・・・・


宗教の持つ最大の欠点は、「人間をあまりにも無能なもの」と見すぎていることだ。


ユダヤ教なり、キリスト教なり、イスラム教なり、(仏教は知らない。)


教典の中での人間は、愚かで、覚えが悪く、放って置いたら悪さばかりをする、救いようがないように描かれている。


人間とは、そもそもそういう面を持っている事は確かだが、ちょっと強調されすぎている。


だから、人間を超越する神というものの存在を作り上げ、倫理の規範とするわけだ。


あまりにもあっけない説明だと自分でも自覚している。


でも、結局そういうことじゃないだろうか?


宗教が時の権力者、あるいは聖職者に利用されてきた歴史をみれば分かることである。


自分の権威者としての根拠を神によって理由付けするのである。


・・・・・・


だが、神は実体がない。


誰がなんと言おうともこれは、事実である。


存在が証明されたためしがない。


「そんな実体のないものを人間の上に置いていいものだろうか?」


ちょっと回りくどかったけれど、今回ぼくが言いたいのはこれだ。


さらに言いたい。


「宗教に帰依していなくても、宗教的な生き方は出来るはずだ」と。


人を殺しちゃいけない。


盗んではいけない。


嘘を言っちゃいけない。


他人を愛しなさい。


・・・・・・云々、云々。


そんなこと言われなくったって、ちゃんと知っているよ。


神に頼らずとも、後ろめたい人生は送っていないよ。


・・・って、言いたくなりません?


神に懺悔したあと、ケロッと切り替えて生きていかれる信者より、


自分の生活態度を反省し、自分の犯した些細な罪に対しても思い悩み、


自分の力で解決しようと努力する人間の方がずっと宗教的だとは思いませんか?


・・・・・・


人間って、弱い生き物だということには同感ですが、それほど愚かじゃないですよ。


描かれた神より、もっと崇高な生き方をしている生身の人間だっていますよ。


他人のために、自己を犠牲にする人たちも沢山いるじゃないですか。


そういう宗教的な生き方をしている人をぼくは知っています。


皆さんも知っていますよね。