・・・・・・・っということで、先日、死刑を執行する部屋に初めてカメラが入ったというニュースをやっていた。
イメージが全く違っていた。
明るくて、近代的、まるで販売される前のマンションの部屋みたいな感じを受けた。
ちょっと重々しさがなく、安っぽい内装なのも意外だった。
コンクリートの壁が当たり前だと思っていたのに。
ぼくの持っていた絞首刑場のイメージは、あのフセインが死刑を執行された場所のような、禍々しい、もっと陰気な部屋だ。
階段は絶対に付きものだとも思っていた。
ボタンが三つあるのも知らなかった。
銃殺刑では、どれかの銃が空砲との知識はあったが。
ボタンを押す執行官も、仕事とはいえ何とも気の重い役割だ。
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法務大臣は何かの意図を持って、公開したのだと思うけれど、
どうせ公開するのだったら、ロープとか、落とし床の下にある部屋も公開すべきだったのではないか。
それらは想像してくださいということだろう。
あの明るい部屋全体が人間を処刑する装置だと説明されると、気が滅入ってしまう。
これほど、人の命を奪うという行為は、心に負担を強いるものだ。
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この公開によって、国民に死刑の賛否を問うている事は分かる。
どちらかと言うとぼくは賛成派だが、今回はこのことについて深く入り込む事は止めておく。
ただ、被害者個人の立場に立って考えなければならないと思う。
抵抗したのだろうか。
そもそも、抵抗できたのだろうか。
その間もなく殺されてしまったのだろうか。
必死に抵抗できたにせよ、それは結局無力化されてしまったのだ。
身を守る手段も虚しく殺されていった被害者はどう思っただろう。
ここは、ぼくらは出来うる限り想像力を働かせる時じゃないだろうか。
むざむざ殺されるより、抵抗して自分を防衛したかったはずだ。
被害者がもしその手段を持っていたら、時間を巻き戻して、殺人者の攻撃を防いでいたはずだ。
被害者だったら必ずそう考えるはずだ。
でも、そのときはそういった身を守る手段を持っていなかった。
だったら、法が無力な被害者に成り代わって、被害者の尊厳を守るべく、時間を巻き戻すべきだと思う。
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そうだとしても、人の命を奪うという行為は、なんと心に負担を強いることか。