アバターの気持ち | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ブログって匿名性が高い。


自分の写真や、本名を載せずにブログを書くって、日本人特有の現象だそうだ。


外国は、堂々と(?)自分の素性を明らかにして、ブログを書くのが主流だという。


今日はこの匿名性に付いて考えた。


・・・・・・


ブログは匿名性が高いといっても、2チャンネルのように完全に姿を隠しているわけではない。


ある程度、リアルな自分を晒しているのである。


その晒し方の程度が人によって様々ではあるが、


だいたい自分に近い人物像を念頭において書いていているはずだ。


そうだからこそ、2チャンネルのように、異様に他人に攻撃を加えるようなことは、


このブログ上ではあまり見られない。


まさに、この点がブログの特徴といえるのではないか。


要するに匿名性のことを言っているのだ。


ブログの筆者は、間違いなく本人なのであるが、その実、


本人とは異なるのである。


そこで、どういうことが起きるか?


ブログの筆者はブログ上で、もう一人の架空の人物をこしらえるのである。


外国で主流であるように、実名でブログを書けば、こういうことは生じない。


書いているのは架空の人物でも何でもなく、本人だからだ。


そうすると、ブログ上でのやり取りは、本人そのものが主人公でやり取りするのである。


ところが、架空の人物とすると、本人はもう一人、ブログ上での本人を想定せざるを得なくなる。


実は匿名でブログを書く限り、本人ではなく、その想定された人物がブログを書くという、


ヤヤコシイ過程を知らず知らずに行っているのである。


・・・・・・


案外こういう着目点は、抜け落ちている。


例えば、「ブログの本人」の名誉が、誰かによって傷付けられたとする。


そうすると、「本当の本人」は、自分の想定した「ブログの本人」の名誉を守ろうと躍起になる。


その実、「本当の本人」の名誉が傷付けられていない場合だってありえる。


「本当の本人」は、「ブログの本人」だったら、どう傷つくだろうかという「想定」によって、


必死に「ブログの本人」の名誉を守ろうとする。


あたかも、「本当の本人」の名誉が傷付けられたかのように。


・・・・・・


どうです、ヤヤコシイでしょ?


もし「本当の本人」だったら、そこで自分は自分を冷静に見る「第三者」の視点を持てる。


ところが、巻き込まれているのは「ブログの本人」なので、その「第三者」の視点は「本当の本人」が担うべきだが、


それを見る、「第四者」の視点が必要になるはずだ。


冷静に解決しようとすればですよ。


だが、そうは行かないのが常なのである。


冷静な視点を持つべき第三者の役割を、「本当の本人」の視点が最後になってしまうのだ。


そうすると、冷静な視点を期待するのは、ものすごく難しくなる。


自分の分身である「ブログの本人」を過度に保護しようとしてしまうのだ。


自分の分身である「ブログの本人」は、そういう時、ものすごく傷付いてしまうだろうな。


だから、「ブログの本人」を守るのは「本当の本人」である自分しか居ないんじゃないかと考えてしまうのです。


そこで、悲劇が起きるのです。


そして、その悲劇はずっと繰り返されるのです。


・・・・・・


えっと、訳の分かったようで分からない理論を展開してしまいましたが、


ブログ仲間同士、実際に会うということが、こういうヤヤコシイこをと解決する、最終手段なのです。


そして、ようやく「本当の本人」に立ち返ることが出来るのです。



(;^ω^A


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