・・・・・・・っということで、ブログって匿名性が高い。
自分の写真や、本名を載せずにブログを書くって、日本人特有の現象だそうだ。
外国は、堂々と(?)自分の素性を明らかにして、ブログを書くのが主流だという。
今日はこの匿名性に付いて考えた。
・・・・・・
ブログは匿名性が高いといっても、2チャンネルのように完全に姿を隠しているわけではない。
ある程度、リアルな自分を晒しているのである。
その晒し方の程度が人によって様々ではあるが、
だいたい自分に近い人物像を念頭において書いていているはずだ。
そうだからこそ、2チャンネルのように、異様に他人に攻撃を加えるようなことは、
このブログ上ではあまり見られない。
まさに、この点がブログの特徴といえるのではないか。
要するに匿名性のことを言っているのだ。
ブログの筆者は、間違いなく本人なのであるが、その実、
本人とは異なるのである。
そこで、どういうことが起きるか?
ブログの筆者はブログ上で、もう一人の架空の人物をこしらえるのである。
外国で主流であるように、実名でブログを書けば、こういうことは生じない。
書いているのは架空の人物でも何でもなく、本人だからだ。
そうすると、ブログ上でのやり取りは、本人そのものが主人公でやり取りするのである。
ところが、架空の人物とすると、本人はもう一人、ブログ上での本人を想定せざるを得なくなる。
実は匿名でブログを書く限り、本人ではなく、その想定された人物がブログを書くという、
ヤヤコシイ過程を知らず知らずに行っているのである。
・・・・・・
案外こういう着目点は、抜け落ちている。
例えば、「ブログの本人」の名誉が、誰かによって傷付けられたとする。
そうすると、「本当の本人」は、自分の想定した「ブログの本人」の名誉を守ろうと躍起になる。
その実、「本当の本人」の名誉が傷付けられていない場合だってありえる。
「本当の本人」は、「ブログの本人」だったら、どう傷つくだろうかという「想定」によって、
必死に「ブログの本人」の名誉を守ろうとする。
あたかも、「本当の本人」の名誉が傷付けられたかのように。
・・・・・・
どうです、ヤヤコシイでしょ?
もし「本当の本人」だったら、そこで自分は自分を冷静に見る「第三者」の視点を持てる。
ところが、巻き込まれているのは「ブログの本人」なので、その「第三者」の視点は「本当の本人」が担うべきだが、
それを見る、「第四者」の視点が必要になるはずだ。
冷静に解決しようとすればですよ。
だが、そうは行かないのが常なのである。
冷静な視点を持つべき第三者の役割を、「本当の本人」の視点が最後になってしまうのだ。
そうすると、冷静な視点を期待するのは、ものすごく難しくなる。
自分の分身である「ブログの本人」を過度に保護しようとしてしまうのだ。
自分の分身である「ブログの本人」は、そういう時、ものすごく傷付いてしまうだろうな。
だから、「ブログの本人」を守るのは「本当の本人」である自分しか居ないんじゃないかと考えてしまうのです。
そこで、悲劇が起きるのです。
そして、その悲劇はずっと繰り返されるのです。
・・・・・・
えっと、訳の分かったようで分からない理論を展開してしまいましたが、
ブログ仲間同士、実際に会うということが、こういうヤヤコシイこをと解決する、最終手段なのです。
そして、ようやく「本当の本人」に立ち返ることが出来るのです。
(;^ω^A
//