希望について(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、日本のような希望はないけれど、とりあえず食える社会とはどんな社会だろう?


就職できずに親にパラサイトして、毎日ゲームに没頭していても、アタリマエのように食事は出てくる。


これは親の収入や財産が続く限り可能なことであり、親が倒れれば成り立たない社会である。


あっという間に生活も苦しく、希望もない最悪の社会に転落してしまうのは明らかだ。


とても脆弱な社会だ。


このような状況を作ったのは、政府が悪いという。


本当だろうか?


むかし池田隼人総理大臣が「所得倍増論」をぶったことで、日本国民はどれだけ希望を与えられたことだろう。


だが、いまの社会、希望は政府が与えるものだろうか?


もうそんなに単純な社会ではないのである。


政府が第一になすべきことは、「雇用の確保」である。


とにかく100%の国民が安定した職に就けることを考えさえすればいい。


求人倍率ではなく、「安定した職」という点が大事だ。


そういう前提があって初めて、国民は誰にも依存することなく、放っておいても自主的に生きていくのである。


希望を持つのは、将来の設計が描ける状況が、現在あるということである。


・・・・・・もうちょっとつづく。