・・・・・・・っということで、日本のような希望はないけれど、とりあえず食える社会とはどんな社会だろう?
就職できずに親にパラサイトして、毎日ゲームに没頭していても、アタリマエのように食事は出てくる。
これは親の収入や財産が続く限り可能なことであり、親が倒れれば成り立たない社会である。
あっという間に生活も苦しく、希望もない最悪の社会に転落してしまうのは明らかだ。
とても脆弱な社会だ。
このような状況を作ったのは、政府が悪いという。
本当だろうか?
むかし池田隼人総理大臣が「所得倍増論」をぶったことで、日本国民はどれだけ希望を与えられたことだろう。
だが、いまの社会、希望は政府が与えるものだろうか?
もうそんなに単純な社会ではないのである。
政府が第一になすべきことは、「雇用の確保」である。
とにかく100%の国民が安定した職に就けることを考えさえすればいい。
求人倍率ではなく、「安定した職」という点が大事だ。
そういう前提があって初めて、国民は誰にも依存することなく、放っておいても自主的に生きていくのである。
希望を持つのは、将来の設計が描ける状況が、現在あるということである。
・・・・・・もうちょっとつづく。