・・・・・・・っということで、このシリーズの最終回。(タブン)
長々と続けていましたが、通信手段(コミュニケーション手段)が発達するにつれ、
速度と反比例して密度は薄れたのじゃないかと言いたいんです。
もちろん人と人との心の密度のことです。
いま巷に溢れているメール、あれってものすごく密度少ないんじゃないですか?
電車の中や、駅の人ごみの中で、携帯を睨んでいる人の数は、半端じゃないですよね。
そんな光景を見て、何か変だぞって感じないですか?
密度が薄れた分、数で補おうとしているんじゃないですか?
メールは他人と気軽に繋がれる。
その分、その繋がりは危ういと言えるでしょう。
だから、危うい糸が切れないか心配で、携帯を握り締めながら生活しているんじゃないのですか?
それって、異常な状態と言うより、悲しい状態に思えてくるんですけれど。
本来なら、相手の目を見ながら話すべきなのに、声さえも聞けないメールに頼るなんて。
そうしていくうちに、人々は本物のコミュニケーションが下手くそになっていく。
本物のコミュニケーションとは、相手の目の動き、表情、声のトーン、息遣い、仕草、
・・・・・・そして、触れ合い。
アレレ、やっぱり最終回にはならなかった。
・・・つづく。