アメリカ文学 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
一日に数本書いていますので、遡って読んで下さいね。

・・・・・・・っということで、最近読んだ本で【Love Stories】について。


もう25年も前の本を古本屋で何となく手にとってしまった。


当時売れていたアメリカの作家達による短編集だ。


最近は短編集に凝っている。


偉そうな事は言えないが、アメリカの小説って何かのマニュアルがあるんじゃないかと思ってしまう。


もちろんそんなものは無いことは分かっているのだが。


なぜそんなことを感じたかというと、何かを表現するとき、上手い表現をしようとする気持ちが強いのである。


特に、情景を表現するとき、何か個性的な描写をしようとし過ぎるきらいがある。


本人は、それほど意識していないのだろうが、「こういう表現はとても個性的だわ」


・・・なんて、アメリカでは作文の時間に先生から褒められ続けてきたんじゃないだろうか。


もちろん、小説を書く上では個性的でなければならない。


教育も、個性的である方向に導く。


だが、過度に個性的であろうとするために、結局個性的ではなくなってしまっているのじゃないか。


自分で書きながら、かなりひねくれた視点だと思う。


だが、アメリカ文学をたくさん読んでいる人には、ぼくの言わんとするところが何となく分かってもらえるのじゃないだろうか。


もちろん、個性的な表現手法は情景描写だけではなく、心理描写でいっそう目に付く。


殺風景さ、無機質さ、ドライさは現代アメリカの作家に共通する特徴ではないだろうか。


決してけなしているわけではない。


こういう文体だからこそ、現代の人間像を上手く切り取れるのだと思う。


同じ無機質さを他の国の作家が書くと、これほドライにはならないはずだ。


それは、文化や歴史という背景を否応なしに背負っていて、意識しなくてもそれが文体に現れてしまうからだろう。


日本の小説は、独特の湿度を持っているのじゃないだろうか。


欧州の小説は、かび臭さからどうしても抜け出せないでしょう?


アメリカは歴史が浅い分、作家達は手がかりを自ら模索し続けなければならないのだろう。


・・・・・・・


何となく分かってもらえました?