Fakeの時代 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・っということで、水曜日はクラブの定休日なので、フィットネスネタのインスピレーションが浮かばない。


また始まったよ・・・・・っと思われるのは承知で、思いついたままを書いてみます。

本人も、KYを自認していますので、ご勘弁を。


100年後の人たちが、今の時代を振り返ってどういう評価をするのだろう・・・・・っと、考えた。


まあ、ソ連の崩壊に続き、アメリカ一国覇権の野望が9/11を境にして脆くも崩れ去った時代。

テロの恐怖に支配された時代。

一党独裁の中国が急速に脅威になった時代。

エネルギー枯渇が本気で認識され始めた最初の時代。

パソコンの普及に伴うインターネット時代。

・・・・・などなど。

どれをとっても、歴史的な大変革の時代に我々は生きていると思う。


100年後の人たちから見ると、我々は大変な時代に生きていたのだろうなと思うに違いない。


だが、その大変な時代に生きているはずの我々にその認識は薄い。

唯々、日々の生活を淡々と送っているだけである。


歴史の視点から時代を分析するなんて、そんな大それたことをする力量は私にはないし、そうするつもりもまったくない。

ただ、私なりの切り口は持っている。


一つは、今は「フェイクの時代」であること。

もう一つは、「顔色を伺っている時代」であること。(これは別の機会に。)


フェイクとはFakeのことであり、模造とか偽物という意味である。

私たちの周りを見渡すと、なんとFakeの多いことか、驚いてしまう。


以前もここで書いたが、東京ミッドタウンに行ったとき、強くそれを感じた。

あれだけの、施設があっという間に出来上がってしまう。

確かに、快適な生活空間ではある。(それも計算しつくされた。)


だが、私には蜃気楼としか見えない。

心の底から落ち着くことができない。

何かが足りない。

それは、重みであり、自然であり、伝統であり、文化である。

一言で言えば、本物がないのである。

すべてがFakeで出来ているのである。

植えられた木々や草花さえも。


パソコンやゲームの世界を引き合いに出すまでもなく、我々は視覚、聴覚までもFakeの空間に漂っている。

味覚もそうだ。


私にとって卑近な例として、会社の営業の連中である。

彼らは一日の大半を事務所に居座って、パソコンを叩いている。

メールをやり取りしているのだ。

電話で客先と話すくらいはまだいい方だ。

情報は、インターネットから収集している。

今では、仕事もバーチャルな世界で完結してしまっている。


私のような古い人間は、営業が事務所にいることに違和感を覚える。

外に出ろよ。

外に出て、客先と直接会って話をしろよ。

・・・・・っと、いつも思う。


今の若い人達は、生まれたときからこのFakeの世界しか知らない。


私は言いたい。

これは、ヤバイですぞ。

トーッテモ、危険ですぞ。

・・・・・っと。


みなさ~~ん。

ホンモノに触れましょう。

本物とは何かを知りましょう。

・・・・・っと。


100年後の世界が、今よりも本物に囲まれた世界でありますよ~に。


とりあえず、連休後半は、20歳代にのめりこんだ登山でもしてみましょうか。