「LGBTは生産性が無い」発言の杉田水脈氏に物申す! | 気になったこと

気になったこと

いろいろ発信したいと思うことで、特に書き留めたいことをこのブログにて発信してまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。

「LGBTは生産性が無い」発言の杉田水脈氏に物申す!

 

https://goo.gl/Z4AhoK

 

https://goo.gl/BQ7EXJ

 

この記事に関して怒り心頭に発しているが、その理由は簡単。

少子化問題について、あたかもLGBTがその原因の一つを担っていると断じているところであり、少子化問題の根本的な原因を探ろうともしないで、簡単に攻撃しやすいLGBTをターゲットにしているところだ。

 

少子化の問題は子育てを性差別されている女性に投げ、家庭に閉じ込め、自己責任で行政が支援しないことと大いに関連があるはず。そして世論もまだこの性差別を支持し、根本的な問題解決に動こうとしないところだ。

 

さらに政治家は選挙に勝つために人口においてマジョーリティの高齢者の方を優遇した政策を立案しがちで、選挙においてマイノーリティである子育て世代を含む若者世代を優遇する政策をほとんどしていない。

 

そういう若者と高齢者が分断された日本で勝つための選挙をすることについて、日本を良くするという大義名分があるならそれも良しとする。ただし、もしそうであるなら現在分断され、差別されている、男性と女性、高齢者と若者が、分断のない、差別のない世界にしていく、そしてその目的を実現するための政策を立案するのが政治家の役目ではないか。

 

今回のこの議員の発言はそれに照らし合わせて言うと、自分の無知無策をLGBTになすりつけ、責任転嫁をしている最低最悪の政治家であると断言できる。

 

また、このような議論になったときに単純に数字だけ示してLGBTのなかでも同性愛者は生物学的に子どもを産めないので、少子化にひとつも貢献していないという論理もある。

 

これについても1+1=2という計算しかできない単純な考え方であると断言できる。なぜなら1+1は必ず2になるのか?一人の男と一人の女がいて、結婚して普通の結婚生活をしていたら子どもが必ず生まれるのか?これはあたかも日本の社会が太平洋上に浮かぶ孤島であるかのような表現に思えてしまう。

 

実際にはこどもは男女二人のカップルで作られるのではないし、育てられるのではない。

周囲の多くの人々の支援があるから産めるし、育てられるである。

 

つまり実際には子育てには単純に1+1で1や2は生み出せず、1+1+1、あるいは1+1+1+1+1+1+1くらいあってようやく1が生み出せるのだ。実際に孤島であれば、仮に1+1であっても子どもを産む余裕はその島に豊富な食糧がなければ不可能であろう。仮に子どもを産めたとしても一人がやっとであるというのは容易に想像できる。

 

このように社会はひとりひとりが勝手に動いているのではなく、総合的にそれぞれが助け合って成り立っている。LBGTであっても、子育てを助ける社会の立派な一員なのだ。これはLBGTだけではない、未婚の人もDINKSも同様である。

 

そして一番大きな問題は子どもが欲しいのにも関わらず、支援を得られないばかりに子どもをあきらめている夫婦やカップルがいることである。つまり1+1=2どころか、支援があれば、1+1=3でも4でも5でも6でも7でも8でもしたいというカップルがいるのに支援が不足していてそれができないということがあることだ。

 

つまりみんながやりたいこと、好きなことをできる社会になれば、多様性を認め合える社会になれば、自分が本来与えられて使命を全うすることができるのである。本来与えられた使命とは、その人の能力であり、やりたいことであり、個性であり、その人が最も得意とすることなのだ。

 

子どもは要らないと言う人もいれば、

子どもはたくさん欲しいと言う人もいる。

 

結婚には興味はないけれど、

仕事はどんどんして社会に貢献したいと言う人もいる。

 

中には仕事もして子育てもしたいと言う人もいるだろう。

 

それぞれの個人がその能力を100%発揮できれば、日本という国はもっともっと住みやすいいい国になれるのである。

 

そして好きなことができる社会になれば、ストレスフリーになり、病気にも無縁でいつも楽しく人生を送ることができるのだ。

 

そのためにも政治家は国民一人一人が自分の能力を発揮できるような環境を作ることに邁進しなければならない。同様にだれもが活躍できるように平等な仕組みを作らなければならないのだ。

 

そこには男女の区別もないし、年齢による区別もない。

もちろん人種による区別も学歴による区別もない。

 

それを自分の価値観にだけ基づいて、国民それぞれの個性を一つの型にはめようとする政治家がいることは非常に残念、というよりもこうした政治家は絶対に退場させるべきである。