岡口基一裁判官を応援してます | 気になったこと

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いろいろ発信したいと思うことで、特に書き留めたいことをこのブログにて発信してまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。

東京高裁の岡口基一裁判官を強く応援しています。

 

https://www.asahi.com/articles/ASL927RGZL92UTIL022.html

https://www.bengo4.com/internet/n_8523/
 

今回、ツイッターで訴訟の当事者の感情を傷つけたとして、

東京高裁長官から懲戒相当だとして処分申し立てしている。

これに対して岡口裁判官は「表現の自由への侵害だ」として争う姿勢を示している。

 

しかし、この問題は表現の自由への侵害以上に大きな二つの問題を抱えている。

 

ひとつは「トーンポリシング」による岡口裁判官への攻撃。

トーンポリシングとは簡単に言うと、社会正義の議論を話ししている人に対して、議論の内容ではなく、話し方や態度を批判し、その発言者を批判する方法。つまり議論のすり替え。

 

岡口裁判官はツイッターでパンツ姿や縄で縛られた上半身の写真をツイッターに投稿するなどして批判を受けてきました。そして今回も公に知られた情報であるヤフーニュースを転載してツイートしただけ。どうも高裁長官は岡口裁判官がツイッターをしていることが気に入らないらしい。しかし、裁判官だからと言って法律に違反しない限り、人権に違反しないかぎり表現の自由は保障されるべきであるし、もしそれが本当に法律違反なら、そのことで検挙されるべき。

 

しかし、実際には検挙されていないので、法律違反ということではない。つまり法律には違反していないが、態度が悪いと言うことでの分限裁判。しかも公開されると都合が悪いので、非公開。これは完全にトーンポリシングではないか。

 

しかし多くの人が違和感を感じているのは、「裁判官とは、これこれこういう人だ」という固定概念を持っていることから来ている。

 

それでも考えてほしい。みんなはすべての裁判官の顔、姿、価値観を知っています?たぶんほとんどの人は知らないでしょう。

そして時々裁判官の犯罪が出て初めて「けしからん」となるのです。つまり裁判官というだけで、「こんな人だろう」という妄想を抱いているだけ。

 

実際にはそれぞれの裁判官はそれぞれのプライベートでの価値観はあるし、プライベートではいろいろなことをやっている人もいます。そしてそれが普通。

 

反対に岡口裁判官のようにいろいろなことを発信してくれるほうが裁判にも法律にも親しみやすくなって国民にとっては大いに利益があると思う。

 

二つ目の問題は裁判は誰のためにあり、法律は誰のためにあるのかと言うこと。もちろん裁判をする権利は国民にあり、法律は国民の権利を守るためにある。しかし、今回それが危ぶまれているのではないかと言うこと。

 

裁判は国民の権利。そして法律は国民の権利を守るためのもの。

そして裁判官の職務は憲法に書かれています。「すべて裁判官は、中立の立場で 公正な裁判をするために、その良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束されるとされる」(憲法第76条)

 

そして判決、判決文とはどのように作られるのか。

「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を採用すべきか否かを判断する。」(民事訴訟法247条)

「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。」(刑事訴訟法318条)

 

裁判官の非常に重要な仕事は「独立して」「中立な立場で」「公正な」裁判をすること。そして裁判官の独立して中立で公正で自由な心証に基づき判決が下される。

 

上司からツイッターを辞めろと言われて辞める裁判官に「独立して」「中立な立場で」「公正な」裁判ができるのか?裁判官が制約を受けるのは日本国憲法と法律だけ。

 

もしそこに法解釈の違い、事実誤認があるなら、上級審を受けられるし、これも国民の権利。

 

さして最終的には最高裁判所で判断が下される。そしてその判断が疑問があれば、その最高裁判所判事は国民審査によって審査を受け、国民によって罷免されることが可能となる。

 

しかし、実際には最高裁判事は内閣によって任命され、天皇が認証。最高裁長官は内閣の指名に基づき天皇が任命と実際つ現内閣によって決められている。そしてこれまでに国民審査によって罷免された最高裁判事は誰一人としていない。

 

一度最高裁判事になれば、国民審査による罷免以外では定年と死亡、本人の意思以外の方法で最高裁判事を罷免することできない。

 

しかも、国民審査は、 任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙の際に再審査を受け、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。

 

つまり一度審査を受ければ、その後10年は死なない限り、定年にならない限り、自ら辞めない限り、その身分は保証される。

 

ちなみに現在の最高裁判事は岡部喜代子判事を除いてすべて安倍内閣によって任命。

 

もし安倍内閣が自分の都合のいいように最高裁判事を任命していたら。もし安倍内閣が東京高裁長官に忖度していたら。

 

今回の分限裁判は最高裁判所で非公開で行われるそうです。もし公開して裁判を行ったら、表現の自由の制限について大きな議論が起こるでしょう。

 

そしてそれは憲法解釈にもつながる。そして憲法改正を狙っている安倍内閣としては国民に憲法の勉強を絶対にしてほしくない。

なぜなら次回国会で提出されるかもしれない、自民党による憲法改正案は国民の自由を制限するから。

 

それがわかってしまうと憲法改正どころか、自分の内閣まで潰れてしまう恐れがあるから。

 

そして万が一最高裁判所で「公開で」分限裁判が行われ、「懲戒相当」との処分が下されたら、非常に大きな議論が引き起こされ、場合によっては次回国民審査で懲戒相当の判断を下した判事全員が罷免されることにもなり兼ねない。

 

政府としては念には念を入れて最高裁判所で「非公開で」分限裁判を行い、「秘密裡に」岡口裁判官を懲戒相当とし、ツイッターを辞めさせ、これからも裁判所当事者が裁判についてSNSで発信しないよう、今まで通り裁判所という秘密の花園を守っていくことになるのでしょう。

 

まあそんなことはないとは思うが、それでも裁判官というのは、職務によって評価されるべきで、プライベートによって評価されるべきではない。

 

裁判官の職務とは、「すべて裁判官は、中立の立場で 公正な裁判をするために、その良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束されるとされる」(憲法第76条)

 

これに尽きると思います。

 

最後に岡口基一裁判官の素晴らしいところは、高裁長官から注意されても、それに疑問符をつけたことです。

 

それまでの習慣や慣習に従うばかりの裁判官が多い中でその習慣や慣習に疑問符をつける。そしてよく考えてみると非常に問題が多いことに気づいてしまう。多くの人が習慣や慣習に従っているのは、なんの疑問も抱かず、考えることも面倒くさい。そうした理由からではないでしょうか。

 

しかし、今回の問題は考えれば考えるほど大きな問題だと考えています。表現の自由だけの問題だけでない。

臭いものには蓋をする。

国民には真実を明かさない。

国民には議論させない。

国民には表面だけよく見せておく。

そんな影の意図がなんとなく見えてくるのです。