i(アイ)西加奈子
内容紹介(アマゾン)
「この世界にアイは存在しません。」入学式の翌日、数学教師は言った。
ひとりだけ、え、と声を出した。ワイルド曽田アイ。
その言葉は、アイに衝撃を与え、彼女の胸に居座り続けることになる。
ある「奇跡」が起こるまでは―。
「想うこと」で生まれる圧倒的な強さと優しさ―直木賞作家・西加奈子の渾身の「叫び」に心揺さぶられる傑作長編!
あらすじ
主人公のアイはシリアからの養子で、裕福なアメリカ人と日本人の夫婦の元で育ち、
その恵まれた環境にいる自分と、世界中で起こる事故や事件の犠牲者を比べて悶々とする。
この小説の最初の数学教師が虚数iを説明するこの1文「この世界にアイは存在しません」に強いメッセージが込められていると感じました。
この世にアイは存在しない。考えても考えても、この文章の意味はそのままの意味にしかとらえられません。
それじゃあ、反対に存在するのは何か?
それはyou(ユー)であり、he(ヒー)であり、she(シー)であり、
we(ウイー)であり、they(ゼイ)なのだと思います。
つまり、この文章においてi(アイ)は英語における一人称単数形。
いや、そんなことないよ。i(アイ)はいつでも存在しているし、いつでもそこにいるよ。
そういう風に反論する人はいると思います。
物理的にはそうだと思います。実際に個人個人は存在している。
しかし、その実態は個人はどこかに属している大勢の中の一部分であり、
独立した個人ではないのだと思います。
主人公のアイは養子であることで、両親とは見た目も異なる。
シリアに生まれたけど、シリアに生まれながら、自分だけが選ばれて平和なアメリカ、日本で住むことになってしまった。
でも、子供が大人によって育てられることに関して、その対象がその大人が産んだ子供でなくてはならないのでしょうか。
小説にも出ていましたが、自分が始めたあるいは、自分の先祖が始めたビジネスを継承させるのは、
自分の血を分けた子供でなければならないのでしょうか。
ビジネスだけではありません。遺産もそうです。
日本国内であれば、天皇が男子一系でなければならない理由はなんでしょうか。
それぞれの国が同じ民族で統一されなければならない理由はなんでしょうか。
その理由はいろいろあると思いますが、根幹にある前提はつねに同じグループに属さないといけないこと。
これが一番の理由ではないでしょうか。
個人としての存在よりもグループの一員としての存在が優先される。
いや、そんなことないと思う人もいるかもしれませんが、よく考えてみてください。
個人のアイデンティティは日本人としてのアイデンティティよりも強いですか?
個人のアイデンティティは属する家族のアイデンティティよりも強いですか?
属する友達グループ、属する会社での派閥、属する地域、そのほかどのような属するグループでも
自分のアイデンティティが優先されることはあるのでしょうか。
一番わかりやす例でいくと、LGBTです。
見た目が女性のようであれば、女性に属さなければならないのでしょうか。
結局それぞれの個人はグループの一員でしかない。
個人個人は違うのに個人としての存在よりもグループの一員としてのアイデンティティのほうが勝るのだと思います。
主人公のアイを見る人も『「私」とは違うと思うよりも、「私たち」とは違うと思うことのほうが多い』と思います。
この「私」とは違うんだと思うことと、「私たち」とは違うんだと思うことはとても大きな違いがあると思います。
アイはこの世に存在しません。
繰り返しこの本で書かれている理由。
それはそういう意味だと思います。
そしてすべてが私とは違うんだと気づくとき、アイは存在し始めるのだと思います。
そして多くの人がそれに気づいたとき、世界は変わるのではないかと思います。
ところで、主人公のアイがお金持ちの夫婦の養子になったことに対して罪悪感を持っている理由はなんでしょうか。
人間は生まれた瞬間はみんな平等です。
しかし、生まれてから1秒後には不平等になるのです。
それは生まれた場所が不衛生な場所か、衛生的な場所か。
紛争の絶えない国か、平和な国か。
両親に望まれて生まれてくるのか、望まれないで生まれてくるのか。
生まれてくる赤ちゃんには何の罪もないのに、そうした環境によってその後の人生の大半は決まってくるのです。
主人公のアイは紛争が多く、貧しい国シリアで生まれました。
しかし、たまたま運がよく、アメリカ人の日本人のカップルに養子として迎えられました。
運がよかった。それで済ませられることでしょうか。
本来であれば、生まれた瞬間はみな平等。
そうであれば、チャンスはみんなに等しく与えられるべきなのではないでしょうか。
しかし、実際には生まれた1秒後には自分の人生の大半は決まってしまう。
努力してもかなわないどころか、努力すら否定されることもあります。
でも努力もなしに、単に運がよかったというだけで、主人公アイのように
貧乏な国に生まれても恵まれることがあるのです。運がいいというだけで。
これくらい理不尽なことはないと思います。
主人公アイのように養父母が人格者で裕福なら幸運でしょう。
しかし、実の両親が犯罪者だったらどうでしょうか。
犯罪者の子供というだけで、その後の人生は大きく狂ってしまいます。
特に親が殺人犯、死刑囚ならなおさらです。
自分の努力や人格とは関係ないところで、自分自身が審判されるのです。
それでも親が犯罪者になったのは運が悪かったと言えるのでしょうか。
そして主人公アイは世界で起きた悲劇で死んだ人の数を記録していきます。
これは何を意味するのでしょうか。
シリア空爆で多くの人が死亡しました。
イラク戦争でもそうです。
しかし、自由主義陣営の連合国の戦死者が出たら、その人の人柄、家族、それまでの功績をたたえ、
いかに惜しい人を失くしたか、そしていかにその人が自由主義陣営に貢献したかが報道されます。
しかし、空爆で殺されたほうは数千人が死亡。数百人が死亡。それでほぼ終わりです。
その数千人、数百人もそのひとりひとりには人生があり、家族があり、兄弟があり、
妻や子供たちもいるのです。
そして地元で活躍していたり、人々の役に立っている人もいるのです。
それらを取り上げることをあまりせずに、一括りに数千人の中に入れてしまっています。
もし、空爆で死んだ市民ひとりひとりの人生をしっかりと放送すれば、世界は必ず変わると思います。
イスラム教についてもどれだけの人がイスラム教を知っているのでしょうか。
イスラム世界についてどれだけ人が知っているのでしょうか。
イスラム世界の生活についてどれだけの人が知っているのでしょうか。
イスラム教=危険という一方的な価値観を植え付け、空爆で大勢の人が死んでも数千人が死亡と報道されるだけ。
そして数千人が死亡してもみんな知らない人ばかり、顔もなければ、名前もない。
その人の生活も知らないし、家族も親兄弟、妻も子供も知らない。
だから多くの日本人が数千人が死亡と聞いても知らん顔していけるのです。
それはシリアのことだけではありません。
東日本大震災でもそうですし、インドネシアの津波もハイチの地震も、数万人が死亡、
数千人が死亡というだけでなく、死亡したひとりひとりの人生に光を当てれば、
それがいかに悲惨であるのかがわかると思います。
災害や紛争だけではないです。
理不尽な差別、理不尽な不平等社会であえいでいる人たちもたくさんいます。
その国の問題というよりもひとりひとりにスポットを当てれば、もっと身近な問題として考えていけるのではないかと思います。
この本は小説の形をとっていますが、ぼくが感じたのは、この本は
① アイはこの世に存在しません。
② 不平等な世界
③ 自分のグループの外には無関心な社会
この3つのメッセージを伝えているような気がします。
そしてストーリーや状況描写は飾りのようなもの。
西加奈子さんは、主人公アイを通じて小説の形でこれらのことを伝えたかったのではないかなと思います。
そして、この本から西加奈子さんのメッセージをしっかりと受け止められたような気がします。
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