【誤解された「嫌われる勇気」】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

「嫌われる勇気」という言葉の

本当の意味をあなたはご存知でしょうか?

 

最近、この言葉の間違った使われ方を

非常によく見聞きします。

 

それは、

他人に左右されず、

自分という軸を守るために

「嫌われる勇気」を使いましょう、

持ちましょう、ということです。

 

たとえば、

他人に媚びず、どんな時でも、

誰に対してでも

自分の意見をはっきりと言うこと。

 

たとえば、

自分が成し遂げたいことを

妨げるような言動をしてくる人や、

イベントからは遠ざかる、

あるいは切り捨てること。

 

そういうことを続けていれば、

たしかに他人から嫌われてしまう

こともあるでしょう。

 

と同時に、

自分自身を貫こう、

自由に生きよう、

主体的でいようという、

強いメッセージにも聞こえますよね。

 

ですが、これだけでは

「嫌われる勇気」でもなんでもない。

 

自分と自分の目標を達成することが

一番の興味になっている人だと思う。

 

ところで、

この言葉は本のタイトルになっていて、

読んだ人はご存知と思いますが

アドラー心理学について書かれた

本です。

 

いつも人の顔色をうかがいながら

相手との関係性が崩れるのを恐れ、

自分の態度や言動を決めてしまうこと。

 

アドラー心理学では、

それは自分ではなく、他人の人生を

生きているようなものであり、

不自由な生き方だとしている。

 

しかしそうかと言って、

やはり、他人から嫌われるのを

気にせずに生きるという選択肢は

簡単ではないですよね。

 

どうやって

そんな勇気を持てばいいのか?

 

アドラー心理学では、

そこに明確な答えがある。

 

それは「他者への貢献」です。

この本では、それを「導きの星」として

表現している。

 

他者へ貢献するのだとう

導きの星さえ見失わなければ、

嫌われる人には嫌われ、

自由に生きていい。

 

たとえ、自分を嫌う人がいようと、

自分と関わる人はすべて仲間だと信じ、

自らの上空に

他者貢献という星を掲げ続ける限り。

 

他者のために犠牲になるのではなく、

みんな仲間だと信じること。

 

これが

「嫌われる勇気」という言葉の

本当の意味。

 

残念ながらそこを理解せずに

 

「自分のやりたことをやる」

「人に媚びない。生きたいように生きる」

「我が道を進むため」

 

といったことだけにフォーカスして、

「嫌われる勇気を持ってやりましょう」

という、人もいる。

 

これは「嫌われる勇気」ではない。

 

自己への執着、こだわりを、

他者への関心に切り替えること。

それがアドラー心理学で語られる、

自由になるための出発点。

 

アドラー心理学から、

この言葉だけが一人歩きしてしまうのは

寂しいなぁと思い、

今回のネタにしました。