先日、友人と仕事の話になった時のこと。彼が自分の部下に対し、メールでダメ出しをしたことについて語りはじめた。
そのメールに対し、部下が初めて自分に反発してきて、それ以来、態度が少しよそよそしくなってきてしまったという。
どんなダメ出しをしたのかを聞いてみると、その部下が提出してきた資料について、非常に細かい指摘しすぎたようだ。なぜそれがダメなのかを、ひとつひとつ例を挙げながらロングメールを返したところ、彼が指摘したようなことを意図したものではないということを同じようにひとつひとつ説明する返信があったらしい。それ以来、明らかに彼に対しての態度が変わったとのこと。
細かい点をいくつも指摘された側としては、だんだん素直に受け入れる気持ちも失せていきやすい。僕自身もそういう経験があるし、やってしまった失敗もいくつもある。
相手に分かってもらおうとし過ぎるがために、1つのことに対していろんな角度から説明したり、説明の巾を広げ過ぎたりしてしまうんですね。彼がやってしまったことはよーく分かる。
その経験をもとに、どうすべきだったかを彼にあれこれ説明していたのだが、話している途中でおかしなことに気付いた。
僕は、彼の部下がどんな気持ちになったかを彼に想像させるために、色んな例をあげたり、彼に質問を繰り返してそれを分からせようとしていた。
そう、これは彼に対するダメ出しを様々な角度から行っているのと同じ。僕は彼が部下にしてしまった失敗と同じ方法で彼にそれを説明しようとしていたのだ。
途中でそのことに気付き、「な?なんかずっと聞かされ続けるのって、だんだん理解しようとする気持ちが薄れていくだろ?人って、無意識に自分を守ろうとするから」といって、お互いに苦笑い。
過去の自分の経験から得たことを僕はよかれと思って必死に話しまくっていた。そしてそれはいつの間にか相手の何が良くないのかの多角的説明へと変化していたじゃないか。
そして思った。僕は自分の失敗経験から学んだつもりで、口では立派なことを言いながらまったくそれを自分では実践できていないではないか。たぶん無自覚に繰り返している。そういうことを語ることで、さも自分が一段上の人間だと勘違いしてしまう。
それじゃまったく意味がない。学んだことを誰かに伝えようとするのは決して悪いことではないけど、どうあるべきかだとかを多角的に論じ、断じるべき相手は、まずは自分。
自分が実践せずに、他人にあれこれ言うのは誰にでもできる。分かったような気になり勘違いをしてしまう。僕らお互いバカモノだよねぇ、気をつけなくてはいけないなぁ。それが彼との会話の結論となった笑