【頑張って充電、頑張らないで充電】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

 最近、コンビニの駐車場で電気自動車の充電器を見た時に、ふと思ったこと。これからは電気自動車が主流の未来になっていくのだろうけど、そのうちコンビニとかデパートの駐車場だけでなく、そこらじゅうの有料駐車場にも分単位の有料充電器とか設置されるようになるのかな?ガソリンスタンドってどうなるの?

 

 それとか、コードを接続しとかなくても、指定した場所に駐車しているだけで、勝手に充電されたりとか。スマホでもあるじゃないですか、置いておくだけで充電されるスタンド。あれ、電気自動車にも応用できるんじゃないですかね。いや、僕が思いつくくらいだから、もう実用化されているのかも。

 あとは、自走充電の効率がめちゃくちゃすごくなって、そういうのが不要になってしまったり。常に走りながら十分な充電ができるみたいな。

 

 なーんてことを想像していた時にふと思った。走り続けることで充電されるって、なんかいいね。仕事では休むことを充電みたいに表現する時もあるけど、仕事を詰め込むことで自分を充電できるってこと。たとえば仕事で悩んでいるのなら仕事を頑張って解決するしかないし。

 

 デール・カーネーギーの代表作にある「道は開ける」にも、悩む習慣を断てば道は開ける、常に忙しく仕事をしていることだ、というのがある。

 

 休みなく目の前の業務に没頭したり、ビジネスや自己啓発の勉強をしたり、ネットワークを築くために色んなところへ足をのばしたり。これっていつでも「走りながら充電」ってことじゃないかな。

 

 悩んだり不安を感じるのは、一生懸命じゃないから。イライラや怒りを感じるのは、それをどう解決したり理解するかの能力がないのに、処理しようとしているから。だとしたら休むことは充電とは考えにくい。むしろ消費され、放電されていく。

 

 もちろん、『いやいや、自分はそこまでしなくたっていまのままでも大丈夫、まじで休みほしい』っていう人もいると思いますよ。頑張りすぎて疲れちゃう時は誰だってありますからね。

 

 だからどちらか一方ではなく、両立させることが大事なんじゃないかな。走り続けなければ充電できないことに対してはカーネーギーの言葉通り走る。

 一方で、疲れて体も思考も非生産的になっている時は休む。こんなことではダメだと自分にムチを打ち、突っ走ろうとするのではなく、「あ、今ちょっと無理し過ぎているな」と自分を見る。

 

 以前の僕はすべてが自分にダメ出しして、無理に走ろうとし過ぎることが多かったような気がする。今はなんか自分の状態をぼんやりと見ている。ただそれだけって感じかなぁ。

 それで今はへこたれずにやっていけているのだから、ダメということではないんだろう。そう考えるとさっきの「両立」ってのは意外といけるんじゃないかな。

 

 忙しく頑張っている時も、頑張っていない時も、何をしてても常に充電されている状態。できるような気がする。いや、できている人もいるんだろうな。

 2つは相反することのようだけど、それが合わさって1つの状態なのが自然体のようにも思えた。車も、充電スポットだけじゃなく、1週走ると充電される充電道路なんてもでてきたりしてね笑