先週末は急な出張が入り都内へ。今日も都内で大切な案件があるのでそのまま東京で休日を過ごすことに。宿泊先を浅草にしたんだけど、ホテルのチェックインまで時間があったので、荷物だけ預けて周辺を歩いてみた。
日曜日の浅草は初めてで、平日とはまったく人の数が違うことに驚いた。駅(TX)周辺をウロウロしてみると、道路沿いの店で昼からお酒飲んでいる人ばかり。JRAのWINSがあるせいかと思いきや、普通にカップルや観光目的っぽい人達の方が多い。
もともと人の多いところは苦手なんだけど、浅草はなんだか時間の流れも人の動きもゆっくりしているように感じて居心地がよかった。気づいたら2時間以上グルグル歩き回っていた。
でも歩きながら考えていたのは、今の自分についてだった。こんな風に居心地がいいと感じた時にハッと我に返るというか、不安を感じたりすることがあるんですよね。自分に対して「なんか油断していないかな」「調子に乗っていないかな」ってことを考えてしまう。
気が小さいだけだろうか笑
良いことがあったり、続いたりした後には必ず悪いことが起こったり、楽しいことばかり夢中になって続けていると必ず辛い目に合う時が来る。そういう感覚が昔からある。人生も世の中も、それが自然な流れだと思うような出来事って多いし、僕もそれなりに経験してきた。
そのことをこんな風にたとえていた人がいた。
『おみくじは引いてみないと吉か凶か、幸か不幸か分からないけど、吉が減るほど次は凶を引く確率が高くなる。両方存在しているのであって、どちらを引くかは単なる順番、タイミングだけのこと。』
僕がハッとして考えていたのは、今自分はどっちの状態だろうか?ってこと。
吉と凶、良いことと悪いことは均等に存在するものだ。だからその時々で感情を浮き沈み、一喜一憂させてもしょうがない。
とはいっても、調子が良いと思う時にはそれを活かそうと努力や挑戦をするし、悪いことがあった時はおとなしく頭を低くし、好転に備えることを怠らないようにすることが必要。
しかし難しいのは良い状態が続いている時でも、悪い状態へ備えること。これをつい忘れてしまいがち。調子に乗っているうちにサっと足をすくわれて転げ落ち、大ケガをすることもある。
他人や社会には迷惑をかけていなくても、浮かれているつもりはなくても、凶を引く順番はいずれくるのだから。それはまったく関係ない人の恨みや嫉みかも知れないし、環境的な要因や社会情勢かも知れない。
だからこう考えてみるのはどうか。
楽しいことや良いことが続いた時は、あえて自分から何かを絶ってみる。得てきたものを自分から手放す。あるいは、今まで避けてきたことや辛いだろうなという道を、傷を受ける覚悟で選択したり、自分のためにはならない、誰かのために労力やお金、時間、自分の大切なものを捧げ、自分を優先しないようにする。
そうやって自らの意思で吉を手放したり、得た吉を誰かのために使ったり、自ら凶を引き寄せたりしてバランスをとる。
それを怠ったり、嘘をついたり、偽善的な言動で自分の吉を優先していればどうなるか?それは神様が許さないだろう。一気に失い、転げ落ちる。自分ではコントロールできない。
強制的に奪われ失うよりは、自分から手放す、絶つ、捧げることでバランスを取りに行く方が望ましいと僕は思う。
歩いていて心地よいと感じたのは久しぶりだったせいか、リラックスできたおかげで、今の僕はどうだろう?と振り返ることができた。実際の言動はまだまだ胸を張って言えるほどのものではないけど、この感覚は忘れずに人生を送りたい。
『大吉は凶に還る』
『禍福はあざなえる縄のごとし』
『浮き沈み七度』
『爾に出ずるものは爾にかえる』
どれも自然の法則。それに逆らい、私欲を満たし続けることなどできない。自分が満たされている時ほど、自らそれを手放さなくてはいけないと思うのです。