それを捨てておこうと拾い上げた瞬間、指先にネチョっとした感触が伝わる。うわっ!と思って袋を見ると中にはまだアメが入っているじゃないか。しかも溶けている。それが指についたのだ。
『
以前の僕なら、200%間違いなくそう声に出して1人でムカついていただろう。でも今はそうじゃなくて、いつも『ありがたいなぁ』という気持ちがわいてくるんですね。
外に落ちているゴミを素手で拾った時、すぐそこにゴミ箱があるなら良いのですが、ない時はそれを持ち歩くのって、せっかく良いことをしているのに正直あまりいい気分ではないんですね。しょうがなくそうしている感じで。
そんなふうに残念な気持ちで『あーあ、汚いなぁ』と思いながらゴミを持って歩いていた時、ふとあること思いだした。
出張先で、早朝にホテルから駅へ向かう途中にある繁華街で、ゴミを拾ったり、路面をブラシでこすって洗ってキレイにしている人達を見かけた時のこと。ボランティアなのか、どこかの職員か近隣に住む人達なのかわからないけど。
その時は、こんな朝早くから街をキレイにする作業をしているなんて清々しいなぁ、いいことだなぁ、と思っただけだった。
そのことを思い出したんですね。掃除をしていたあの人達はいつもこういうことをしているんだなぁ。あれだけ人が集まって皆でやっているんだからきっと定期的に行っているんだろうなぁ。
歩道に落ちている汚いゴミを拾った時に、そんなことを思い出し、掃除をしてキレイにしてくれる人への感謝の気持ちがふっとわいてくる感覚。おそらくご共感いただけるのではないでしょうか。
以前は、ただ残念な気持ちでしょうがなくしていたことから、そんなことに気づくことができて、感謝を感じることもできるようになった。
僕はゴミを拾っています、なんてブログに書いてると善人ぶっているみたいな気持ちもしてしまうが、実際拾ってみようとした時はつい周囲の目が気になってできないこともあったし、かっこつけていると思われないか?なんて気にしていたこともあった。
でも思い切ってそれを実行した時に気づいた。ゴミを持って歩きながら周囲にいる人達をチラ見してみたが、別に何も変わらない。
恥ずかしがっていた自分がおかしくなり思わず顔が笑っていた。『なんだよ、当たり前じゃないかそんなの。』何も変わらないのである。恥ずかしがっていた気持ちと一緒にゴミを勢いよくゴミ箱へ捨ててやった。なんで緊張しなきゃいけなかったんだろう?
普段当たり前のように目にしている光景。ゴミの無い道路、不快感なく使える職場のトイレか、またはゆっくりくつろげる自分の家のお風呂かも知れない。
少しだけかもしれないけど、気付くことができる。『ここをキレイにしてくれている人がいる』と意識することができる。
アメのカラ1つ拾うぐらい、全然大したことじゃない。しかも自分が働いている場所の前だ。むしろやって当然。それでも気づける。今まで意識していなかったことに。自分がやってみることでわかる。
謙虚さと感謝の気持ち。これに気づくにはやっぱり掃除、ゴミ拾いがいい。アメのベトベトで汚れた指を洗い流しながら改めてそんなことを考えていた。