前回のブログで書いたその内容に対し、数件、メッセージといただきましたが、その中でこんな内容がありました。
『ブログの内容だけでは、その女性社員が全て問題なのかどうかは分かりませんが、そんな扱いづらい社員にそこまで気をつかってあげるのもどうかと感じます。わたしの職場にも同じような女性がいますが、本人は全く気づいていないものの、周囲からはそういう人だと見られていますから。そんな相手ならば、態度を改めるようビシッと要求した方がよいのではないでしょうか。』
メッセージ、ありがとうございました。今日は、このメッセージから感じたことを書きたいと思います。
周囲に被害をもたらすようであれば、問答無用で、相手の非を改めさせなくてはいけないこともあるかも知れませんが、前回のお話は、そういった部分ではなく、あくまで対人関係の問題という部分にフォーカスした内容でした。
しかし、このメッセージを読み返しながら感じたのは、『ビシっ』と改善を要求し、相手がそれに従ったとして、それで問題は終わりなのだろうか?ということでした。
たとえば前回ブログで登場したHさんの部下は、Hさんのミスに食いついたり、あら探し、揚げ足とりといったことにエネルギーを使ってくる。その理由は過去の出来事かもしれないし、Hさんの仕事の能力や人格への嫉妬かもしれないし、ただ倫理的に嫌いなのかも知れない。
『なんで上司のくせに。。。』『上司なんだから。。。。』という感じで、最初から不満をぶつけたり、問い詰めることしか考えてなさそうな相手のようでした。
組織において上位者がそのような立場も経験することは多いでしょうし、そこから学ぶこともあると思いますが、いずれにせよ聞く限りでは、上司であるHさんを助けよう、サポートしようなどという気持ちなどないんですね。
そのような相手に対して、態度や言動の改善を求め、従わせたところで、それで問題が解決されるのだろうか?人間関係が改善されていなければ、逆に新たな問題の芽を生むだけではないだろうか。
一見すると仕事上での問題であるように見えることも、実は全て対人関係に結びつくといってもいいと僕は思うのです。人は、他人の言動に関する『内容』よりも、それをしているのは、言っているのは誰なのか?という『人物』の方に大きな関心があるからです。ウワサ話などはその典型的な例でしょう。
Hさんと女性社員を例にとると、上司の言動や人間性に対して不満があるのではなく、最初から不満をぶつけてやろうという目的があって、それに見合う材料を探していることになります。
女性社員の立場からすれば、『そんな馬鹿なことあるはずがない、Hさんがそう思わせるような言動をとるからだ』と言いたくなるでしょう。
本当はHさんという『人物』に対して不満をぶつけようとしているのに、『言動だけ』に重大な原因があるかのように自らを説明したくなるものです。
なぜ、そう言い切れるのかというと、不満をぶつけたり態度にださずに、Hさんに至らない点があるならそれをサポートしようという言動・態度という選択肢もあるはずだからです。組織におけるリーダーとメンバーのそのような関係だってあるのが自然です。
『いやいや、それでも現実問題として、人物というよりは、相手の言動そのものに腹を立てたくなることだってあるのでは?』
確かにそういうこともあるかも知れません。しかしそのようなマイナス面を、いかにしてプラスに変えるかとういうことを、腹を立てて不満を相手にぶつける前に持ってくる努力もできるはずなのです。それをするかしないかこそが現実的な問題ではないでしょうか。
つまり、相手の言動に問題があるからそのような努力ができないのではなく、そういう努力をしたくない自分がいるのだと考えなくてはいけない。その努力をする勇気を持てない自分がいると。
そんな相手のために自分が変わろうとするくらいなら、不満があろうと自分の主張を曲げない方がよっぽど楽だからです。
ところが、その一歩を踏み出さない限り、いつまでたっても『わたしではなく、あの人が悪い』という不毛なエネルギーを費やし続けることになることは自明ではないでしょうか。
だから対人関係の問題が解決されれば、すべての問題は解決されるといっても過言ではないと僕は思う。自分の主張の正しさにとらわれ、それを判断基準にし、相手との関係の在り方を置き去りにすることは避けたいのです。
そして対人関係の在り方を変えたいのであれば、自分の考えや気持ちが正しいといったことはひとまず忘れておきたい。それを示すことができたところで意味はない。たとえるなら、論理だけを振りかざし、メンバーに自分の意見を理解させようとしているリーダーシップと似たようなものだ。
どんなに自分の意見が正しかったとしても、誰もあなたという人間を慕ってくれなかったら、あなたの意見どころか、リーダーとして存在する意味もないだろう。
仕事上の上下関係はあろうと、自分や他者に至らない部分や失敗などがあっても、互いにその穴を埋め合うことができる良好な関係を築くのか?それとも『あの人が悪い』と言い続けるのか?前者を選ぶのならば、自分が変わることを決意するしかない。変われるのは自分だけだ。
僕自身がそんなふうにできているかといえば、正直にいうと反応的な感情を表に出してしまう時は少なくない。でもそんな心構えでいたいと思っているだけで、気づくことはできるんですね。『あ、いま自分は相手のせいにしてしまった』と。
大きな理由があるわけではないが、自分の考えや行動の正しさの前に相手との関係を考えることを優先したい、ただそうありたいなぁと、僕は思うのです。
最後にたまにブログで紹介しているアドラー心理学に関する書籍からの引用で終わりたいと思います。
~以下引用~
『人はいわば真空の中で生きているのではなく、必ず対人関係の中で生きています。私たちの言動は他者の存在を前提とし、他者へ影響を与え、何らかの反応を他者から引き出します。
<中略>人に応じて関係のあり方を変えられなければ、その人の対人関係は困難なものになるでしょう。実際には人と人の関係は変わり、人へ影響を与え人から影響を受けます。先に、自分しか変えられないと書きましたが、そうであれば、自分が変わればそれに応じて、相手も多かれ少なかれ変わらざるをえません。
人を変えるために自分を変えるというのは間違いだと私は考えていますが、自分の言動が変われば、相手がかわることはありえます。人を変えるために自分を変えるというのは、支配的な考えですが、私さえ我慢すればいいというのでもありません。自分が変わることで、すぐにではなくても、結果としてまわりの人との関係は変わり始めるのです。』
~引用終わり~
【困った時のアドラー心理学(中公新書ラクレ)/著者:岸見一郎】
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