とある飲み会での会話。
某大手企業で管理職を務めるHさん。現在の職種についてから、最初は業務に忙殺され、そのことに精一杯だったが、Hさんの課題は徐々に別なことへと移っていく。
『最近ヤバいですよ。ストレスがたまってしょうがないです。』
表情も口調は明らかに感情がこもっていて、本当にまいっているような感じだ。Hさんの悩みは職場にいる女性社員との対人関係。細かいことでHさんへ詰め寄ってきたり、ちょっとしたことですぐに不機嫌な態度をとる。その女性社員の扱いに手を焼いているとのこと。
『本当に嫌がらせみたいなものですよ!』ちょっと強い口調で言うHさん。
立場的にも自分は感情的になってはいけないと考え、忍耐強くその女性に気遣い、コミュニケーションをとるように努力したと言う。ところが相手はまったく変わらず、Hさんのあら探し、揚げ足取りとも思えるような言動を続けてくることに、ほとほと嫌気がさしてしまった。
『そこで、もう諦めて、中立的な接し方を意識して、何とかこれ以上振り回されないようにしていこうと思ったんですが、何だか以前にもまして態度があからさまになって、さらに激しくなっているような気がするんですよ。もう勘弁してほしいですよ。』
お酒が入っているものの、真剣な表情でそんな感じのことを言って、僕から目線を外しながら大きくため息をつくHさん。
当の女子社員からすればそういう態度になるのは、Hさんのせだと思っているだろうが、Hさんが、感情をださずに気をつかいながらコミュニケーションをとろうとしてた気持ちが僕には良く分かる。
『それでも、やっぱり自分が変わるしかないですね。相手がどうだからとかじゃなくて、良いと信じたことを続けるだけ。』
僕はそんなことを心のなかで思ったが、Hさんの人柄の良さを知っているだけにそうあっさり返すわけにもいくまい。ただ1つ思ったのは、あきらめて中立的な接し方を意識した結果、以前にもまして態度があからさまになってきたということ。
手に負えない、もうそっとしっておこう。対人関係でそんな選択をしようとした経験、僕にもあったような。しかし、それで相手の良くない言動・態度をエスカレートさせてしまったのだとしたら、どうしたらよいのだろうか。
相手が理不尽な言動をとってきても感情的にならず、当たり障りない中立的な接し方に徹することも必要だと思えるかもしれないが、それが逆に人間関係を悪化させる要因として働いてしまっていないだろうか。そんなことを思わず考えさせられた。
感情的にならない、というのは確かに必要だけど、中立であったり当たり障りない接し方は、もしかしたら相手にとって『何もしていない』のと同じであり、無である。相手が関係について良くしようと考えてくれる可能性を完全に打ち消してしまうことになるのかも知れない。Hさんのような立場であれば、それで良しとするのも難しいはずだ。
人は自分のしたことに対して、リアクションがほしい。自分がフェイスブックに書き込んだことに対して誰が「いいね」をつけてくれたのか。仕事で目標を達成した時には評価してほしい。自分が話したことについて相手がどう感じたか知りたい。そんな欲求があって自然だ。
わざと「いいね」をつけない、誰かが仕事で目標達成しても感謝やおめでとうと言わない、相手の発言に対して感じた本当のこともウソすらも言わない。こういう例を考えてみると、相手に何もしない、当たり障りない反応というのは、ネガティブなストロークそのもの。
相当ストレスをためているようなHさんに、そんなこと言っていいのだろうかと一瞬考えた自分こそが、今まさに当たり障りないことを口にしようとしているような気がしてしまい、思い切って言ってみた。
『その中立的な接し方ってのが、間違っていたのかもですね。』と僕。
『そうですねぇ、なんか良くないような気はしてました。どうにもならないと。やっぱり相手としっかり話し合うしかないですかね?』
『それもあるかもしれませんが。その前に、その女性社員の良い所って思い浮かびますか?』
『う~ん、態度は良くないけど、仕事はしっかりやってくれてはいますが、良い所じゃなくて、それは当たり前ですかね。』
僕は、「相手との関係を改善すると決めた側が相手の良い点を見つけていかなくてはいけない」というアドラー心理学の本で読んだ言葉を思い出しそれを伝えてみるつもりだった。しかしHさんの『それは当たり前ですかねぇ』という言葉を聞いてハッとした。
『その社員、Hさんに対する態度以外は、普通なんですか?』
『え?。。。。う~んまぁ、ちょこちょこはあるけど、大きな問題ってわけではないですが。』
『さっき、当たり前って言いましたけど、そこじゃないですかね。』
『何がですか?』
『やって当たり前、できて当たり前って、上司にとってはそうかも知れませんが、その女子社員も含めた部下にとっては、そうではないかも知れないですよ。Hさんは今、部下がたくさんいると思いますが、逆に自分が部下の立場だった時ってどうでしたか?』ちょっと口調を強める僕。
『あ~~~ぁ、はいはい、内海さんの言いたいことは確かに分かりますね。』そう言いながら、なんとも自然な笑顔を見せるHさんが印象的だった。過去の自分を思い出したのだろうか。
『内海さん、よくそういうことまで考えられますね。』とHさん。しかしそれはとんでもない誤解だ。僕だってHさんの『当たり前』という言葉を聞いてハッとして、自分がまったくそんなことを考えていなかったことにヒヤッとしたのだから。無責任な話だったかも知れない。
人間、その気になれば他人の欠点を見つけることなどたやすいことだ。ほとんどは当たり前で、普通にしているのに、1つ自分が気になることがあるだけで、『あの人は、◯◯がダメだ』と、ごく一部の悪い部分だけを膨らまして評価しがちではないだろうか。普通だからこそ、当たり前だからこそ、そのことについては何も感じなくなってしまう。
そうではなく、その人の大部分をしめる『あたりまえ』に対してこそ、無になってはいけないのではないだろうか。『無』や『中立』は、自分は他人へ何も影響を与えていないつもりでも、他人からすればそうではないことだってある。
仕事での上司と部下、家庭での親子や夫婦、交友に至るまで、すべてに同じことが当てはまりそうだ。 当たり前だから何も言わないのではなく、そこに気づき感謝したり喜んだり。そしてそれを表現しなくては。中立的な『無』は、相手にとっては自分に感心がない無視の『無』となるかも知れない。
『Hさん、上司って中立的な立場をとることが必要なようなように感じる時もあるけど間違っていたかもです。常にポジティブな投げかけができるかどうか?それこそが大事な役割かもですね。』
『普通の部分に着目ですね。』とHさんが、まぁやってみるかといった感じで鼻から強く息をもらした。しかし表情は少し自信がありそうに僕には映った。さすがだ、ここに書いたようなことを説明しなくても話が早い、通じていた。
自分を自己評価したらどうだろう。僕は【短所:長所:普通=1:1:8】くらいかな。いや、短所は長所の倍の2かな。謙遜じゃ無しに。相手の大部分を占める普通ではなく、せいぜい1か2程度の欠点や長所を拡大してみているようでは、悪化した関係を改善することは容易ではないかもしれない。
僕も大いに考えなくてはならないところがありそうだ。Hさんの一言で、大事なことに気づかせていただいた。手が止まっていたビールを飲み干して、小刻みに頷きながらそんなことを思った。
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