今日はサンタマリアノヴェッラ教会の2回目です。
1回目を見てない方はこちらからどうぞ。 ①サンタ・マリア・ノヴェッラ教会~Basilica di Santa Maria Novella

 
こちらは、①で紹介したトルナブォーニ礼拝堂のステンドグラスです。きれいですね~!


サンタマリアノヴェッラ教会には、ドメニコ・ギルランダイオの他にも沢山の有名アーティストが作品を残しています。
写真はありませんが、他にもブルネレッスキの十字架に架けられたキリスト像、
フィリッポ・リッピのフレスコ画など他にも沢山あります。

よろしければこちらのWIKI Basilica di Santa Maria Novella イタリア語版 からそれらの作品を垣間見ることが出来ます。


ちなみに、こちらが教会内にあるマザッチョのフレスコ画です。

サンタマリアノヴェッラ 
聖三位一体 マザッチョ 1426-1428年

むむむ、この絵も何か意味がありそうですが、それが何なのかはっきりわかりませんでした。


ところでマザッチョといえばサンタ・マリア・デル・カルミネ教会にある
ブランカッチ礼拝堂楽園追放貢の銭   も有名です。
こちらの (マサッチョ WIKI) から カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂フレスコ画 、 サンタマリアノヴェッラ教会の聖三位一体について見ることが出来ます。

 

マザッチョの自画像

 上の画像はサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂『テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ』の右端に書かれた人物像でマザッチョの自画像といわれているものです。
マザッチョの絵をみ見に、後世のルネッサンスの画家達が通って研究したそうですから、
多くのルネッサンスの画家が自分の絵に自画像を残したのも、彼がみんなに与えた影響の一つなのかもしれませんね。

***********マザッチョの後世への影響 (文章をマサッチオのWIKIから引用しています)****

マサッチオは1428年にローマ教皇領で27歳の若さで夭折しており[(*)、絵画史上に残る巨匠のなかではもっとも短命の一人であったが、後のルネサンス絵画のあり方を決定づける方法的モデルとなる作品を残した。その意味で建築家フィリッポ・ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロと共に、ルネサンス美術そのものの創設者の一人であるともみなされている。

ヴァザーリは、すべてのフィレンツェの画家たちが「絵画における原則と法則を学びとるために」マサッチオのフレスコ画を徹底的に研究したとしている。マサッチオはそれまでの理想化されたゴシック絵画からイタリア絵画を決別させ、絵画に深みを与え現実的な表現と人文主義を作品に持ち込んだ最初の画家となった。

 

 

(*マサッチオの才能に嫉妬した他の画家に毒殺されたという伝承がある )*************************************************************************
 ③に続きます。

 

 

どくしゃになってね!