現在41歳の私。
日本人女性の平均寿命まで生きたとして…
折り返し地点です。
残り半分は長いのか?短いのか?
日曜日にミサと洗礼式に参列した時に気になった神父様の言葉。
もちろんミサはキリスト教徒であること前提で話が進んでいきます。
なので、キリスト教徒でない私には
それはちょっと違うんじゃない?
…と思うセリフが時々あるんです。
それはこの教会の神父様だけでなく、今までに参列してきた結婚式(教会式)も、洗礼式も、葬式も…何かしら腑に落ちない宗教的なセリフがあるものです。
どういったセリフかというと、大抵はキリスト教を信仰していないと救われないといったような内容のセリフです。
ま、私にとってそれらのセリフが腑に落ちないのは、私に信仰心が無いからで、当たり前。
そして、一部のセリフが腑に落ちないだけで、ミサや式の間、神父様の話を聞いていると
なるほどなぁ…
と思ういい話の方が多いです。
道徳の話よね。
日曜日、あの教会にいた人の中で、洗礼を受けていないのは、たぶん私とピピウだけだったでしょう💧
ピピウがお世話になったNICU。
NICU内で洗礼を受けることが可能でした。
サルデーニャのNICU友達の息子くん、Gくんは残念ながらNICUから一度も外に出ることはありませんでした。
週末に院内の教会のミサにも出ていたGくんの両親。
本当ならば、NICUを退院して、サルデーニャの親戚一同で盛大洗礼式をしたかったのだと思います。
しかし、あえてNICUで洗礼を受けると聞いたとき、Gくんの容態がそんなに悪いのか...と私もダンナもとても不安になりました。
よく分かっていないので間違っていたらごめんなさい。先に謝っておきます。
カトリックでは、洗礼を受けていないと天国へ行けない?
ということは…
私はもしかすると仏教の天国には行けても、カトリックのダンナとは同じ天国には行けないってことよね?
ピピウは?
ちなみに、ピピウが命の危険にあったとき、洗礼については私は全く考えもしませんでしたし、ダンナも受けさせようとは言いませんでした。
本当に死後の世界があって、またそこで出会える…
というのは宗教に関心が無くとも信じたくなるような話ではあります。
でも、だからといって、ダンナと同じ天国に行けるように、洗礼を受けよう!とも私は思いません。
イタリアに嫁いだ当初は、
もし私に何かあったら、火葬して、日本の実家のお墓にいれて欲しい(日本へ帰りたい)
…なんて思ったことありましたが、それって、
誰がしてくれるの?頼まれた人、めっちゃ迷惑!
と今では思います💧
私はキリスト教徒でもないし、かといってイタリアでわざわざ仏教のお経をあげてもらいとも思わないので、私は葬式不要。
最近はイタリア人でも火葬するケースが増えてきているようなので、とりあえず火葬はしてもらって、灰はピピウに海に撒いてもらうか、山に撒いてもらうのが理想だけれど、これも手続きが大変そうなら別にいいや
とりあえず、一番時間と費用のかからない方法でピピウになんとかしてもらえればと思います。
で、魂のほうは…
またダンナと会えるのかどうかは謎だわね
でも、会えるといいね。
…っていうなんだか縁起でもないことを思った日曜日のミサと洗礼式でした
まだまだ頑張って生きるよ💪
とりあえず、生きている間は一緒だ、ダンナ
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