独り言 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

先日、日本人の友達と話してたこと。







幸せって何?






テーマが壮大すぎ。笑





友達と話してて、後でも考えて、


感じたのは


幸せと不幸(問題)って


比例するんじゃないかということ。





例えば…


私は6年前まで

何を犠牲にしても

子供が欲しかったです。


頑張ってもどうしようもなくて

子供が授かれるなら何だってするのに…

と長い間思いながら過ごしていました。



で。



その願いが

願いを諦めたとたん叶い

いろいろありましたが

今、私の息子は私の隣で笑っています。




どれだけの幸福をこのたった5年間で息子からもらったか、文字で表現すらできないほどです。


が。


この5年間でどれだけの大変な問題を抱えたかも、文字で表現できないほどです。






息子が生まれて5年。


彼がいてくれるからこそ得られる幸福が山のようにあります。


でも、その反面、

彼がいなかったら抱えるはずもなかった問題も山のようにあると思うのです。




それでももちろん息子がいてくれる喜びの方が大きいです。





でも、これって、恋人とかでも同じかも?


更にはたぶんお金も同じ?


幸せと不幸、両方を与えてくれるという意味で。






だから、幸せと不幸(問題)って、表裏一体なのかも?



幸せと不幸(問題)は、比例するのかも?



ということは、100%幸せなことって

一瞬はあるかもしれないけれど

長く続くものではなく

そもそも100%の幸せが長く続いたら

それは幸せでなく"平凡"になるわけで…


じゃぁ、やっぱり、

幸せって何?って話しになるわけです。




幸せがあるから不幸(問題)が発生するのか?


不幸(問題)があるから幸せを感じることができるのか?



どうなんでしょうね?





その問いに答えがあるのかさえ分かりませんが

一つ思うのは

不幸なときでも、問題を抱えているときでも、

何かしらの幸せも必ずあると言うこと。




辛いときは、きっと小さな幸せに、

そばにある幸せに、

気づけていないときなのかもしれません。





最近、少し気分が沈んでいたのですが、お友達と久しぶりにいろいろ話せて(幸せとは何か?ってことだけじゃなく)、ちょっと持ち直せたかも。



そんな時間が友達と過ごせたのも、その日の"幸せ"でした。


ありがとう。






誰かに語りたかったのではなく

自分にもう一度言い聞かせるための

独り言でした。






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