夢 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

私の兄の長女は今年18歳になりました。

私が19歳の時に生まれた姪。

それまで赤ちゃんを可愛いと思ったことのない私が、初めて可愛いと思った赤ちゃんでした。


姪とピピウはイトコになるわけですが…

「シェコちゃん、私が生まれた時、シェコちゃん何歳だった?」

と聞いてきた姪。

19歳だったと言うと、

「やばい!私はピピウのおばさんじゃないから!」

と言っていました。笑



そんな18歳の姪は高校3年生ですから受験生なわけです。

姪の高校生活は正に部活一色。

スポーツをやっており、インターハイに京都府代表として出場するほどでした。

それでも高校は一応進学校なので、勉強も一通りはやっていた…のかな?

今日、日本の義姉からLINEがあり、
「長女、指定校推薦がとれた!」
という嬉しい報告がありました。





姪の将来の夢は助産師

その夢実現のための大きな一歩です。



助産師さんといえば…

ピピウがお腹にいる時、お腹が痛くなってきて、救急に行った時に不安な私を最初に落ち着かせてくれたのは助産師さんでした。

いざ出産となり、26週で産むという罪悪感と恐怖と不安でいっぱいの時、「シェコ、ピピウは生まれたがっているわ。大丈夫。生まれてこようとしているピピウに全て任せればいいのよ。」と言ってくれた助産師さん。

その言葉にあの時どれだけ救われたかわかりません。

分娩中も助産師さんの励まし、指示の声は誰の声よりも耳に届きました。


ピピウは産まれてすぐに新生児科のドクターの手に渡ったので、私は見ることさえ出来ませんでしたが、ピピウのかぼそい産声と一緒に、助産師さんの「あ、オシッコした!」という声が聞こえたのが忘れられません。笑

その後、ピピウを見ることさえできなかった私に、「自分で泣いた(産声をあげた)わね。26週にしては大きめの赤ちゃんよ。」と言ってくれました。


また、私が入院中、救急で診てくれた助産師さんが「生まれたと聞いて…。赤ちゃんの様子はどう?」と心配してわざわざ病室まで来てくれました。
(救急では…と言うか分娩室に運ばれる少し前まで「まだ産まれないから大丈夫だ」と言われていたので。それが入院した翌日には産まれちゃいましたからね。)



産婦人科医とはまた違った助産師というお仕事。

素晴らしい仕事だと思います。

出産の主人公がお母さんと赤ちゃんだとしたら、助産師さんは出産を仕切ってくれる監督といったところでしょうか?


今でも私を診てくれた助産師さん、ピピウを取り上げてくれた助産師さんに感謝しています。




姪のMちゃん、立派な助産師になって、出産を頑張るお母さんと赤ちゃんの誕生を手伝ってあげてください。
面倒見のいいあなたには、きっと天職だと思います。

日本へ行ったら、ピピウとも遊んでやってね。
まだ小さいイトコをよろしく。



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