今回の入院のこと② | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

手術室へピピウを抱っこして連れて行き、待合室で少しの間待機。

待合室のドアは開けたままだったので、前を通る看護師さんたちが…

「あれ?!ピピウ?! どうしたの???」と声をかけてくれました。

手術室の看護師さんたちと私と夫は面識がないのですが…大小全ての手術をあわせてピピウが手術室に入るのはこれで13回目。
麻酔科のドクターたちも手術室の看護師さんたちもピピウのことをよく覚えててくれていました。
(NICUにいたときは手術室までNICUの看護師さんとドクターがピピウを連れて行ってましたが、NICU卒業後は手術室まで私たちが抱っこして連れて行きました。)

そんな手術室の看護師さんの一人に、今年8月までNICUにいて、9月から手術室へ移動となったよく知る看護師さんが…。

「どうしたの?何があったの?」

その看護師さんに事情を説明。

看護師さんは私をぎゅっと抱きしめてくれました。
止まっていた涙がまた溢れてきました。



その後、ピピウは手術台に上り、私たちは外で手術が無事終わること、腸が残ることを祈って待ちました。




手術室はお世話になっていたNICUの前にあります。

ソファーに座って待っていると、NICUで知り合った両親たち、NICUの看護師さんたち、ドクターたちが通り、励ましてくれました。

この日、学会でピサへ行っていたNICUの医局長。
学会から帰って来られた時にちょうど会い、彼にもピピウのことを説明しようとしたら、医局長の第一声は「今、手術中か?」でした。

「今朝、Dr.N(外科の医局長)から電話があって話は聞いた。」と。

「手術が終わるのを待とう。手術後は念のためうち(NICU)かICUに。」

すでにNICUの医局長が事情を知っていてくれたというのは、なんだか嬉しかったです。

だからといってどうなる訳でもないのですが、
NICUを卒業しても、ずっとピピウを診てくれていた(今も外来ではお世話になってますが)ドクターが側に居てくれると思うと、心強いのは確かでした。


ピピウが手術室に入ってから約2時間半後。
手術室から外科医局長と副医局長が出てきて、手術の説明のため個室へと通されました。

この瞬間がとてつもなく恐怖なのですが、二人のドクターにすでに笑みがあったことから、「きっと悪い知らせでは無い」とホッとしました。

引っ張って申し訳ありませんが…

つづく





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