やっぱりここでも… | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

NICUのドクターと看護師さんたちは私が日本人だということを知っています。

息子が入院する際に両親の個人情報も提出するので。

でも、NICUで働いているのは何もドクターと看護師さんだけではなく、オムツや注射器、保育器などを用意したり、雑用?をせっせとこなす看護師さんの助手的存在の人たちもいます(看護師さんとは制服が違う)。

その人たちが、昼食、夕食の無料券を毎日配りに来てくれます。


ある日のこと。

いつものように昼食券を配りに来てくれた人に「あなたに一つお願いがあるんだけど、いいかしら?」と話しかけられました。

「はい、私でできることなら。」と答えると…

「あそこのベッドの赤ちゃんのお母さんに、この食券のことについて説明してほしいのよ。」と。

そのベッドの方を見ると…そこにいたのは中国人のお母さん。







ここでもか…真顔

中国人に間違えられる私。









「すみません。あのお母さんは中国人ですよね?私、日本人で、中国語は話せないんです。」

「あら、ごめんなさい!日本人なのね!
でも、日本語と中国語ってそんなに違うの?」

おそらく、イタリア語とスペイン語が似ているように日本語と中国語も似ていて、お互いなんとなく分かるんじゃないかという淡い期待があったのでしょうが…。

「残念ながら、全然違うんです…。」


期待に応えられなくて申し訳ない。





NICU内ではドクターや看護師さんたちからみんな◯◯(患者である子供の名前)のお父さん、お母さん」という呼ばれ方をします。

でも、私を中国人と間違えたその人はそれ以来、私を「マンマ ジャッポネーゼ (日本人ママ)」と呼びます。笑



NICU滞在も長くなってきました。

NICUスタッフ、長期でいる赤ちゃんのお母さんたちとも打ち解けてきました。



ちなみに、イタリア語が通じない中国人の両親へは、赤ちゃんの病状説明等も必要なため、その後、病院側が手配するプロの通訳が呼ばれていました。




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