児童労働? | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

私がブログを始めてからずっと拝見させていただいているブログの一つに

アフリカはガーナ在住のちこたんさん のブログがあります。



ちこたんさんのブログは…


とにかく面白い!



ちこたんさんの文章力、表現力、視点がかなり私のツボでして、

毎回ブログがアップされるのを楽しみにしています。


よくちこたんさんのブログを読んでよく笑わせていただくのですが、

ちこたんさんのブログがすごいのはただ面白いだけではないことだと私は思います。


私の知らないアフリカのこと、ガーナのことを

彼女のブログを通して身近に感じることができますし、

私とはまた違った視点で世界を、アフリカを、ガーナを、日本を、社会を

見ていらっしゃるところがとても興味深く、

頷きながら、感心しながら読ませていただいてます。

私にとってとてもためになるブログです。


私、かなりのちこたんさんのブログのファンですラブラブ

お会いしたことはありませんが…




数日前、ちこたんさんがこんな記事を書いてらっしゃいました。→



このちこたんさんの記事を読んで、ちこたんさんの考えに大変共感したと同時に、

知り合いのイタリア人が言っていたことを思い出しました。



これまでにも何回か書いてきましたが、

イタリアの大人はとても子どもをかわいがります。

私にとってはそれがときに過保護にも思えます。




たとえば、日本の学校では給食の配膳、

教室の掃除、そしてトイレ掃除まで生徒たち(子どもたち)がすると知り合いのイタリア人が知ったとき、


「日本みたいに豊かな国が、

どうして子どもを働かせるのか?」


と質問されたことがあります。



私は正直、その質問にショックを受けました。


給食の配膳、教室やトイレの掃除…もちろん私も小・中・高校とやってきました。


でも、私は一度もそのことについて「働かされている」と思ったことはありません。

おそらく、私の友達も思ってはいなかったでしょう。


貧しいから働かされているわけではないのです。

貧しい=(児童)労働ではないと思うのです。



しかし、それらのことはイタリア人の感覚からすると「労働」になるようなのです。




他にもたとえば…

イタリアのどこにでもある、中国系移民の方が開いているアジアンマーケット。

店に入ると子どもがいたり、または子どもが店を手伝ったりしています。

それを見ても、中には「中国人は子どもを働かせている。」というイタリア人がいるのです。

私は少し違うような気がするのですが…。


私は日本の学校が子どもたちに給食の配膳や、掃除をさせることが悪いことだとは

全く思いません。

子どもが親の仕事を手伝うのも悪いことだとは思いません。



でも、それだけイタリアと日本との児童労働に対する価値観が違うのでしょう。




確かに、イギリスで産業革命が起こった時のように、

まだ子どもという認識がなく、子どもは小さい大人、未熟な大人とみなされ、

重労働を強いられていたのはよくないことだと思います。

(あひらめき電球だからヨーロッパでは必要以上に児童労働に厳しいのかな?)


でも、親や、親以外の人の仕事を手伝うことで、

給食の配膳や、教室、トイレの掃除をすることで、

学ぶことってあると思うのです。


その場合、それは児童労働とは呼ばず、躾、教育の一環と呼ぶのではないでしょうか?



確かに線引きが難しいことではありますが…。




でも、今はイタリアだけでなく、日本でも、

親の仕事を子どもに見せ、その技術を子どもに習得させるということはなかなかしませんよね。


もしかしたら、学校で学ぶよりも大切なことを学べるのかもしれないのに…。












ちこたんさんのブログを拝見していると、

何が子どもたちにとって一番いいことなのか、

本来の家族のかたちとは、

人と人とのつながりとは…などなど

いろいろなことを改めて考えさせられる機会が多いです。





ちこたんさん、

これからもブログ、楽しみにしています。

これからもどうぞよろしくお願いします。





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